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「夏目漱石旧居跡」(漱石文学発祥の地、森鴎外旧居跡)

二大文豪の住んだ場所、通称「猫の家」跡

★ジャンル【学校】 
★場所 文京区向丘2-20-7
★最寄駅 東京メトロ南北線東大前、本駒込または千代田線千駄木駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「夏目漱石は明治三十六年一月英国から帰り 三月三日 ここ千駄木町五十七番地に居を構へた。前半二箇年は一高と東大の授業に没頭したが、三十八年一月『我輩は猫である』『倫敦塔』等を発表して忽ち天下の注目を浴び、更に『猫』の続稿と並行、三十九年初から『坊ちゃん』『草枕』『野分』等を矢継早に出して作家漱石の名を不動にした。歳末二十七日西片町に移り、翌四十年四月朝日新聞に入社し、以後創作に専念した。千駄木町は漱石文学発祥の地である。森鴎外も前に(自明治二十三年十月至同二十五年一月)その家に住んでゐた。家は近年保存のため移築され、現在犬山市明治村にある」

★解説
 根津裏門坂にある日本医科大の坂上側の脇道を入ってすぐです。今は敷地は同大の同窓会館になっています。そこには別項で書いた「済生学舎」(日本医科大)の歴史を紹介するギャラリーがありますので、ご一緒にお訪ねください。
 碑銘は「夏目漱石旧居跡」なのですが、碑文に「漱石文学発祥の地である」とあり、「発祥」の言葉があるのをもって、「発祥の地」の一つとさせていただきます。しかし森鴎外(もり おうがい)もここに住んで、ここでも作品を書いているのに、本文に付け足しのように触れられているだけなのは、ちょっと落差が大きい気がします。
 鴎外が出世作「舞姫」を発表したのはここに住む前、現在の上野動物園隣の住居でした。転居後はすぐ近くの団子坂上に引っ越し、今は文京区立森鴎外記念館になっています。近くに住んでいたので交流があったように思いますが、夏目漱石(なつめ そうせき)は正岡子規(まさおか しき)宅で初めて会った時など、生涯に数回しかあっていないそうです。特に仲が悪かったようではないので、何かお互い遠慮するもの があったのでしょうか?
 漱石がここに居を構えたのは、イギリスから半分強制的に帰国させられて、就職した東大が近くだったからでしょう。このあと漱石はやはり東大に近い西片に転居しますが、朝日新聞社員となり、作家生活に入って教職を辞すると、故郷の早稲田に転居し、以後そこに住みます。
 漱石といえば「神経衰弱」ですが、この「神経衰弱」という診断は現在で

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