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「日本国憲法草案審議の地」

日本側の新憲法案がGHQに突っ返された場所

★ジャンル【社会】
★場所 港区六本木1−8−7
★最寄駅 東京メトロ南北線六本木一丁目駅

これまでの23区発祥の地一覧

★碑文
「この地は、昭和二十一年(一九四六年)二月、連合国軍総司令部と、日本国政府との間で、日本国憲法草案について審議された跡地である。(この地は(財)原田積善会の本部があり、戦後に外務大臣官邸として使用されていた。)当事者は総司令部側代表としては、民政局長ホイットニー准将、民政局次長ケーディス大佐の両名で、日本側は、当時の外務大臣吉田茂と法務大臣松本烝治であった。」

★解説
 泉ガーデンタワーの南側、サウジアラビア大使館隣のビルにあります。
 ここは「日本国憲法発祥の地」と位置づけられるかもしれません。碑の文言の「審議」は考えた末の、かなり日本側に心地よい言葉ですね。新憲法制定では、松本烝治(まつもと じょうじ)法務大臣らが主導していた憲法問題調査委員会の作った憲法改正要綱(松本私案)が2月8日にGHQに提出されたのですが、13日になって日本案は拒否され、その場でGHQ案が突然示されました。
 その現場がここにあった外務大臣官邸です。日本案が拒否され、GHQ案にしろ、と言われた場所ですので、とても「審議」とは言えないです。この事件が今も「押しつけ憲法論」の根拠となっています。日本側は天皇の大権などは保持できると踏んでおり、この日の通告はかなりショックだったようです。吉田茂(よしだ しげる)外相は「総理大臣(幣原喜重郎)とよく相談する。このことは内密にお願いしたい」と言うのが精一杯だったと言います。
 その後新憲法はこのGHQ案を基本に国会で審議が進められ、早くも11月3日に公布されました。松本法務大臣はこの直後の5月に公職追放されており、どうもGHQから「旧体制人物」として嫌われていたのですね。
 ちなみに原田積善会とは、戦前に鴻池組の再建に手腕を振るった原田二郎(はらだ じろう)が設立した慈善団体で、今も活動を続けています。三重

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