常夜灯

川の中だった中心街/神通川との戦いがもたらした変遷/富山市

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★城郭 富山城

 富山市の中心街は、たかだか100年ほど前まで実は川の中だった。
 話は400年以上前に遡る。富山平野の暴れ川だった神通川は当時、市街のはるか西を流れていた。それが何回かの大洪水で流路を変え、佐々成政が支配する富山城下に流れ込んだ。佐々は治水工事を施すとともに、川を外堀として城下を再整備する。これが富山の基礎となり、江戸時代は大きな流路変化はなかった。
 富山城は北側が全て川となり、その姿から浮城とも称された。城下を通る北陸街道が神通川を渡るには、暴れ川ゆえ橋はかけられず、船を並べて鎖でつなぎ、上に板を渡す船橋で通行した。船は64艘、幅は10メートル以上にもなり、江戸時代には富山の三大名物に数えられるようになる。たもとには茶屋ができ名物の鮎のなれずしが振る舞われた。これが明治になって鱒に変わったのが富山名物「鱒寿司」の発祥だという。
 船橋は危険で両岸には常夜灯が建てられ転落を防いだ。今も県庁近くに残

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