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透明人間だった僕が霊長類最弱の黒帯になるまで

突然だけど、ハッキリ言って僕は弱い。絵に描いたような「弱そうなおじさん」である。小太りでメガネなんかもかけちゃうし、垂れ目でどことなく内股でもある。超弱そうだ。僕でも勝てそうだ。
その昔“おやじ狩り”なんて物騒な行為が流行っていたらしいが、今じゃなくて本当に良かったと思う。僕なんて確実に狩られる。多い日なんかは一日に二回は狩られる。帰りの電車賃だけでも靴下に忍ばせてないと家にも帰れない日々が続いただろう。危ないところだった。

そんな僕なので
「実は僕、こう見えて空手の有段者なんですよ」
なんて言うとそこそこウケる。
僕の一言でその場が和むのは非常に喜ばしいことではあるが、これは事実である。二十年近く連れ添っている嫁も未だに信じてくれないが、事実である。
ただし、中学生のときに段持ちになってからすぐに辞め、それっきり道場には一切行っていないので、そのときの感覚ってのは今はまったくない。
現状としては正真正銘の自他ともに認める“霊長類最弱の黒帯”だ。
でもその頃習っていた空手が僕に与えた恩恵は肉体的なものだけではなく、なんならそんなものよりもっと大切なものを僕の精神に刻み込んでくれた。

空手の話になるといつも思い出すこんなエピソードがある。




小学校低学年の頃の話だ。
いつも通り夕食を食べ終わってテレビを眺めていたら、玄関の方から「お邪魔しまぁす!」と近所に住む幼馴染の女の子の声が聞こえた。夏だったので日が長く、外はまだまだ明るいとは言え時刻は18時を過ぎている。
何事だろう、と玄関まで行くと道着姿の幼馴染が満面の笑みで立っていた。
空手教室に通っているという噂は聞いていたが、だからと言って何故僕の家にいるのだろう。しかも何をそんなに笑っているのだろう。ちょっとこわい。
僕はきょとんとした表情のまま
「あ、あの、うちは空手教室ではありません……」
と言ってみた。敬語なのは何か不穏な空気をビシバシ感じているからである。不安を覚え一緒に玄関まで出てきていた母親の方を振り返ると、母親も同じようにニコニコしながら
「わざわざごめんねぇ。じゃあ、よろしくね」
と幼馴染に話しかけ、幼馴染は「うん!」と元気に頷いた後、
「ほら、行こう!」
と僕の手を引っ張った。
何もかもが突然で訳が分からなかったが、あまりにも当たり前のように進む状況に圧倒された僕は、促されるまま自転車に乗って幼馴染の後に続いた。
やはりまだ外は明るく、昼間に比べていくらか涼しくはなっているがまだ暑い。ひぐらしが鳴いている。
道着を着た幼馴染の後ろ姿を追いかけながら、なんとなく「僕はこれから空手教室に連れていかれるのだろう」と理解し、それと同時に親と幼馴染の思惑や魂胆もわかってきた。



当時の僕は近所の子供たちからいじめられていた。
遠方から引っ越してきたヨソモノだという事実と、もともと引っ込み思案で気弱な性格だったことが原因だろう。
痛い目に遭わされることはまったくなかったが、幽霊や透明人間のように扱われる毎日だった。完全に居ないものとして徹底してくれればまだいくらかマシだったのかもしれないが、少し離れたところで僕の方を見てクスクス笑いながら何かを話しているのも地味に効いた。馬鹿にしている言葉がそれとなく聞こえてくることもあった。
誰も僕に話しかけないし、僕から勇気を出して話しかけてもイマイチ聞こえてんのか聞こえてないのかハッキリしない反応ばかり返って来て、いつからかコミュニケーションを取ろうとするのも諦めた。
そりゃ僕だって人間なので傷つくし嫌な気持ちにもなる。最初のうちは泣いたり怒ったりもしたが、それすらも嘲笑の的になるだけだと気づいてからは一切の感情を出すことを辞めた。
集団登下校をしていても、僕だけ集団から少しだけ離れて、一言も喋らずに下を向き、石ころを蹴りながら自宅と学校を往復する日々が続いた。

正直な所、僕は一人でいることはもうそんなに苦痛ではなくなっていた。家に帰れば本やゲームなどの一人でも楽しめる物はたくさんあったし、近所の男の子連中は相変わらずそんな調子だったが、女の子たちは優しくしてくれていた。冒頭の幼馴染の子もこのグループに居て
「あいつらなんてガキンチョだから気にしない方が良いよ。こっちで一緒に遊ぼう」
なんて声もかけてくれていた。とは言っても男子から仲間外れにされたからと言って、女子のグループに入り浸っていてはますます馬鹿にされるのは目に見えてわかっていたので、僕の方から適度な距離はとっていたが。

そんな感じで、僕は僕なりに折り合いをつけて日々を過ごしていたが、親としては気が気じゃなかったのだろう。
自分も親になった今ならわかるが、自分の子供が端から見ても一目でわかるくらいに仲間外れにされているのだから気にするなという方が無理な話だ。
両親からは毎日のように「友達はできたか?」「なんか嫌なことはないか?」と聞かれたが、妙に悟りを開いていた僕は
「友達はできないけど全然平気」
「嫌なことはいっぱいあるけどそういうもんだし」
と返すばかりで余計に親に心配をかけてしまった。

ある日、その地域の集まりがあり、親子同伴で参加しないといけないイベントがあった。僕は母親と一緒に参加したのだが、そのときに近所に住む一学年下の男子がその親に、少し離れたところで僕の方を見ながら
「お母さん、あいつね。女とばっか仲良くしてて、男の友達なんか一人もいないし、すぐ泣く弱虫なんだよ」
と言っているのが聞こえた。その子のお母さんは困った顔をしながら窘めていたが、そいつは止まらなかった。
「ひょろひょろだし、きっと喧嘩も弱いよ。いつかボコボコにしてやるんだ」
男の子の母親は「こら!」と言って黙らせたが、その後も何か言っていた。
その場ではそれ以上のことは何も起きなかったが、その瞬間から鬼の形相になっていた母親は帰ってすぐに僕の両肩を掴んで
「あんな風に言われて悔しくないのか」
と問い詰めた。
悔しくない、はずがない。でもいちいち気にしたって僕なんかにはどうしようもない。僕はまた自分の感情に蓋をした。
「別に悔しくなんかないよ」
平然と言ったつもりだったが、母親にはすべてお見通しだったようで
「本当に?本当のことを言いなさい」
としつこく聞かれ、とうとう僕は
「……ほんとは悔しい」
と本音を言ってしまった。不思議なもんで、言葉にすると蓋をしていた感情が溢れてきてしまって涙がぽろぽろと流れてきた。
それを見た母親は
「わかった」
と、何かを決心した顔で僕に言った。

幼馴染が道着姿で我が家を訪ねてきたのは、その数日後のことだった。



噂の空手教室の道場は家から自転車で十分ほどのところにあった。
幼馴染が慣れた様子で「押忍」と言って道場に入っていく。僕はおそるおそるそっと中を覗いてみる。
幼馴染と同じ道着を着た同年代くらいの子供たちが数名。あとはドラゴンボールとか北斗の拳でしか見たことがないような屈強な男たちがそこかしこでストレッチをしていて、その中でも一際異彩を放つ人物がいた。人物というか、ゴリラがいた。
幼馴染がそのゴリラに近づいて二、三言ほど何かを話すと、そのゴリラは
「おお!!来たか!!いじめられっ子!!」
とでっかい声で入口を覗く僕に話しかけた。
初対面である。人語を喋ったということはさて置いて、なんてデリカシーのないゴリラなのだろう。
僕はビクッと体を縮こまらせたが、そんなのはお構いなしにゴリラはずんずんと近づいてきて
「まぁ、今日一日じっくり見学しような!!」
とこれまたでっかい声で言った。よく見るとゴリラではなく、ゴリラによく似た人間のようだ。周りからは“塾長”と呼ばれており、声も体も大きいし強面ではあるが、笑顔が優しそうで不思議と怖いとは思わなかった。
幼馴染も一緒にやってきて
「二週間後に演武会があるからみんなも気合入ってるし、今日は組手の練習試合もあるし。ちょうどいいから見ていってね」
と僕に声をかける。
“エンブカイ”とか“クミテ”とか、初めて聞く単語ばかりでイマイチ何を言っているのかわからなかったけど、とりあえず頷いて道場の隅っこに用意されたパイプ椅子に座った。

そこから繰り広げらた光景は鮮明に僕の心に焼き付けられて、今でも忘れられない。
組手の練習試合で回し蹴りがまともに顔面に入って失神する屈強な男。
奇声を発しながら手刀で瓦をバリバリと割りまくる屈強な男。
木製バットを蹴りで真っ二つに折る演武の練習でスネが真っ青になっている屈強な男。しかも何故か笑顔でコールドスプレーをスネに吹きかけている。
そして、普段見たこともないような鋭い眼光で素早い蹴りと突きを放ち、木の板を体一つで何枚も割っていく幼馴染の女の子。
全員が寸分違わぬ動きで行う基本稽古や、型の稽古。
逆にそれまでの喧騒が幻だったのかと思わず疑ってしまうほど、水を打ったように静まり返る黙想の時間。

そのすべてが初めて触れる世界のものばかりで僕は息をするのも忘れて見入ってしまった。時折、稽古の合間にいろんな人が僕に話しかけてくれた。今やっているのは何の稽古なのか優しく教えてくれた。大人も同年代の子供も、分け隔てなく接してくれた。
ここでは僕は透明人間や幽霊ではなく、一人の人間としてちゃんと居場所があるように思えた。

それからは週に二回の稽古に通うようになった。喧嘩なんかもちろんしたことないし、そもそも運動も苦手だったがとにかく無我夢中で練習を繰り返した。二週間後には道着が渡され、名実ともにその流派の門下生になった僕はより一層稽古に打ち込んだ。
はじめは不慣れだった基本の型も少しずつ様になっていき、腕立て伏せや腹筋などの筋トレも、体を柔らかくする為の柔軟体操も、努力すればするほど結果として目に見えてくるのが嬉しくて仕方がなかった。
昇級審査をクリアするたびに帯の色も変わるのもレベルアップが可視化されたみたいで楽しかった。

気づけば近所の子供たちからのいじめはなくなっていた。
本当のことを言うと空手の技を覚えて、それで一人ずつ襲撃して全員に復讐をしてやろうと思っていた時期もあったが、それをするまでもなく周りが先に態度を変えた。そのうち僕自身ももう近所の連中はどうでもよくなっていた。
僕が武道によって精神的な強さも得たことにより、思ってたようなリアクションが返ってこないことに退屈したのか。
もしくは無意識のうちに備わった
「お前らなんかいつでもやれるぞ」
という僕の不敵な(それでいて性格の悪い)様が知らず知らずのうちに伝わったのかはわからない。

ただ確かなことは。
一歩踏みだした先にちゃんと僕が僕でいられる居場所があり、そしてその居場所は僕自身が一歩踏みだしたからこそ得られたものだった。
あの日、僕を迎えに来てくれた幼馴染が、そして迎えに来るようにこっそり話をつけていた母親のおかげで僕の人生は変わったのだ。今考えれば騙し討ちのようでちょっとだけ「勘弁してよ」なんて思うが、心の底から感謝はしている。

それからは隣町の道場に通う一学年上のライバルが出来て、組手試合で勝ったり負けたりを繰り返した挙句にひと夏のドラマがあったり。
夏のキャンプでオバケを見て慌ててテントのある河原に走って戻ったら、屈強な男たちが手刀で自然石を割って遊んでいて、そっちの方に怖がったり。
日本人をナメくさった外国人の門下生を試合でボコボコにしたら、その直後に仕返しでボコボコにされて僕の方が最終的に大ダメージを負ったり。
いろんなことがあったけど、そのどれもが輝かしい思い出になっている。

一歩踏みだすのって、やっぱりすごく勇気が要る。
でもその先にはそうしなきゃ見えない景色がきっとある。
当たり前かもしれないけど、それは本当にやってみないとわからない。
「どうせ何も変わらない」なんて当時の僕みたいに寂しいことなんて言ってないでさ。
やってみないとわからないんだからさ、ちょっとやってみようよ。
……なんて、霊長類最弱の空手有段者である僕なんかは思うんだけどね。
偉そうなこと言ってごめんね。最弱のくせに。
押忍。



お金は好きです。