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男子高校生の非日常

二十四歳になる部下は一人で飲食店に入る事ができないらしい。

曰く、
「家族連れや恋人、友達と複数人で来ている他の客から笑われているような気がしてならないから」
との事だ。

正直な事を言うと、僕はこれ、ちょっとわかる。
念の為に言っておくが、今となってはそんな事は一切気にならない。
飲食店なんて余裕で一人で入れる。
牛丼屋やラーメン屋やファーストフード店は勿論の事、ファミリーレストランにも普通に入れるし、おそらく本気を出せば“おひとり様の最難関”と名高い焼き肉屋さんにも一人で行ける。本気を出せばね。

しかし、僕も多分に漏れず、十代後半から二十代半ばまで過剰すぎるほどの自意識に悩まされた一人だ。
電車に乗れば同じ車両にいる異性は全員僕の事を見定めていると信じて疑わなかったし、美容室で思ったような髪形にならなかったときは一秒でも早く地球が爆発してほしかったし、顔の目立つところにニキビなんて出来ていようものなら
「嗚呼、これで本来だったら今日起きるはずだった運命の出会いが三から四、ないし五、多く見積もって六は無駄になった……」
と朝から鏡の前で頭を抱えたものだ。馬鹿すぎる。

だから、冒頭の悩みを聞いた時も
「ばっきゃろぃ!誰もお前の事なんざ見ちゃいねえよ!」
と言いかけて、やめた。
自分だって似たようなもんだったじゃないか、と思い直したからだ。

「あー、ちょっと、わかるけどね」
部下にそう返すと、まるで生き別れた家族に出会えたかの如く、目を輝かせ、身を乗り出しながら
「わかってくれますか!?やっぱそうですよね!?」
と迫ってきたので、慌てて訂正した。
「いやいや、昔はね。今は全然平気だし、なんならAVなんかも余裕で借りれちゃうよ、俺」
と、言うと、今度は宇宙人を見るような目でこちらを見てくる。
おいおい。二秒前まで生き別れの家族だったのに、急に地球外に放り出すなよ。

「マジありえねえっす……人間じゃねえ……」

人間だよ。

「エロDVDなんて高校生の時に友達と五人で借りに行ったのが最初で最後っすよ」

そう呟く部下の言葉を聞きながら、
「あぁそうか。今はもうアダルト“ビデオ”じゃないから、AVって言わないのか」
「というか、似たような経験が自分にもあったなぁ」
なんてどうでもいい方向に逸れた思考はそのまま今から約二十年前、地元の男子校に通っていた当時まで遡った。



「加護亜依そっくりなAV女優がデビューしたらしい」

朝一でクラスメートの品川が鼻息を荒くしながらそう言ってきた。
加護亜依、というのは当時人気絶頂期であったアイドル「モーニング娘。」のメンバーだ。

いつもつるんでいる友人達は色めき立った。
僕なんて辻ちゃん派なのに、ちゃっかりとその中に居た。

「で、ここからが本題なんだけど…」
品川は勿体ぶって一度そこで言葉を切り、続けた。
「学校から駅に向かう途中にレンタルビデオ屋があるじゃん?そこに、そのビデオが入荷されたから、俺は今日部活を休んで借りに行こうと思ってる」
覚悟を決めた顔でそう告げる品川に「おお…」と感嘆の声を漏らす友人一同。

僕は品川がいつまでたってもバスケ部でレギュラーになれない理由が分かった気がした。
あと、「おお…」って言った僕をはじめとする友人達に彼女が出来ない理由も。

こうして、その日の放課後に
「加護ちゃん似の女優が出ているAVを借りに行こう大作戦Z」
は決行された。無論、Zに意味はない。

六時間目の体育の授業を終え、急いで着替え終わった我々は選抜されたメンバー四人で件のレンタルビデオ屋へと向かったのだった。
選抜というか、単純に帰宅部で暇だった僕と他二人、そしてリーダーの品川、これで計四人だ。最強にモテない四人だ。逆F4だ。

目的地に到着し、ドキドキしながら店内を進み、ピンクの暖簾をくぐったその先はまさに桃源郷だった。
高校生だった僕達にとって、その空間はまさに非日常以外の何物でもない。
工業高校、所謂“男子校”という、普段女子とほとんど関りがない我々からすれば尚更である。

目の前に広がる数々の作品群に思わずテンションが上がる四人だったが、その直後、突如として現れた店員さんがこちらに向かって近づいてきた。

「あー、君たち」

そう声を掛けながら歩いてくる店員さんを見て、我々は咄嗟にアイコンタクトを交わした。

「散れ!」

慌てて逃げようとした我々に店員さんは

「ちょっとちょっと、逃げなくていいから。怒りに来たわけじゃないから」
と追いかけてきた。
我々四人はその言葉に若干の警戒心を残しつつも、話に応じた。

「こっちも商売だからさ、お金さえ払ってくれればいくらでも貸したいんだけど、さすがにあからさまな高校生にAVは貸せないんだよ」

品川の表情は、泣く一歩手前だった。
バスケ部の試合で負けてもケロッとしてるくせに、だ。(まぁ試合には出てないからね)

しかし、続けて店員さんはこう言ってくれた。

「だから、レジに商品を持ってくるときは、その学ランを脱いでほしい。そしたら、貸すから。約束するよ」

なんと寛容な店員さんだ。
「なんだその付け焼刃のシステムは」
なんてちょっとだけ思ったけど、この厚意は素直にありがたく受け取るべきだろう。
品川も心なしか眩しそうに店員さんを見つめている。後光が差して見えるのだろうか。

店員さんは「そういうことで」と言って去っていった。
一連の流れで、なんとなく怖気づいた僕と友人二人は、どうしても諦めきれない品川を一人アダルトコーナーに残し、店の出入り口付近でガムを噛みながら戦友(とも)の帰還を待つ。

約十分ほどして、ピンクの暖簾から品川が出てきた。手にはおそらく目的だったであろう作品がある。
覚悟を決めた男の顔だった。背筋もぴんと伸びている。
いろんな葛藤があっただろう。しかし彼はそれを乗り越えた。勇者だと言っても過言ではない。

しかし、やはり動揺していたのか。
学ランを脱ぎ忘れたまま彼はレジまでずんずんと進み、

「これこそ、俺が出した答えです」

と言わんばかりに自信満々にビデオを店員さんに差し出した。
店員さんも思わず苦笑いである。

我々、待機組は店の入り口から叫んだ。

「品川!品川!」

こっちに振り向く品川に、声には出さずに「学ラン脱げ!」とジェスチャーで示す。

品川はハッとした表情を一瞬浮かべたのち、即座に学ランを脱いだ。


――ここで説明しておきたい。
我々は六時間目の体育の授業を終えて、店にやってきた。
きっと品川は逸る気持ちを抑えられずに、体操服の上に直接学ランを羽織ってきたのだろう。学ランを脱いだ品川は上半身だけ、体操服姿になった。

そして、我が校の体操服は、
左胸の部分に学校名、学科名、学年、氏名(フルネーム)がすべて記載されているタイプの体操服だった。

その姿を見た我々は、三人同時に噛んでいたガムを口から噴き出した。

お金を払い、何かを成し遂げたかのような顔をした品川は笑い転げる僕達のところまで来て、全員の顔を見渡し、ゆっくりと頷きながら静かに言った。

「…よしっ」


いや、よくないよくない。

お前、素性全部バレてるぞ。
ある意味では名乗りを上げて斬り合う侍のような潔さは感じるけど。

僕達は笑い過ぎて息も絶え絶えといった感じで、品川に「左胸を見ろ」と伝え、顔を下に向けて確認した品川は

「ぬわーっ!!」

と、近隣に響くほどの叫び声をあげた。



「…という話があってさ」

部下にその話をしたら彼は腹を抱えて笑った。

「とにかく、俺はそういう面では数々の修羅場をくぐってきてるから。そういうDVDとか借りたいときはなんでも相談してよ」

僕は部下にそう言いながら、当時の店員さんを思い出していた。

我々、男というものは、みんな同じような道を辿ってきた。

あの頃、自分にかけて欲しかった言葉は、次の世代にかけていくべきだ。

それこそが僕達のような、先人の責務ではないだろうか。
あのときの店員さんも今の僕と同じ気持ちだったかもしれない。
きっと部下の目にも後光が差す僕が映っている事だろう。


部下が口を開く。


「あ、スマホで普通に動画観れるし、いいっす」



…ですよね。



お金は好きです。