わたしのことなど、どうか忘れてください
一時期の僕はもう承認欲求がとんでもなく、もはや承認欲求の権化などとも呼ばれていたとか呼ばれていなかったとか、といったところでした。
いや、承認欲求の傀儡と呼ばれていたかもしれませんし、エゴサの鬼なんてのもあったかもしれません。はたまた鏡の中のマリオネットなどとも呼ばれていた可能性もあります。果ては海のミルク、森のバターなんて呼ばれていたのかもしれません。末恐ろしい話です。
末恐ろしい話ではないですね。言葉を間違えました。すみません。
とにかく誰しもに僕を認識して欲しかったし、褒め称えて欲しかったし、崇め奉られたかったのも事実です。例えば、お店とかで
「いつもの」
と言えば、当たり前のように“いつものやつ”が運ばれてくるレベルで在りたいとも思っておりました。
それがどうでしょう。
今のこの感じ。もう許されるならば、すべてにおいて一見さんでありたいこの感じ。人間変われば変わるもんです。
常に「誰やねん」で在りたい。
そう願わずにはいられません。いつからこうなってしまったのか。
先日も書きましたが、僕はほんの僅かほどあった(のかどうかもわからないような不確かな)才能が枯渇してしまったように感じており、そしてそれと同時に「私は何者かになりたいのだ」という気持ちすらも霧散してしまったように感じるのです。こうなってくるともう「逆佐亭 裕らく」とか名乗ってるのもなんだか恥ずかしくなってきます。全然、逆佐亭 裕らくじゃないのに。佐藤じゃん。本名佐藤じゃん俺、ってなっております。
ご隠居です。感覚的には完全なるひいお爺ちゃんです。もはや腰も痛いです。まぁこれはそういうの関係なくただの持病です。痛いです。なんとかしてください。
元々がこういう性格なんですね。僕は。
バンドマンなんぞをやっていた頃から少しおかしくなっちゃっただけで、元々は引っ込み思案な子供でした。今になって元来の性分というものが戻ってきた感はあります。そういえば中学生の頃にギター抱えて外を歩いてたら近所のおばさんに
「どうしたの?大丈夫?」
と目を丸くしながら言われたことがあります。それだけ僕が人前に出るようなことをしていたのが不思議で仕方がなかったのでしょう。
それほどまでに僕は目立たない、物静かで存在感のない子供でした。そしてそれを苦とは一切思わない子供でした。今になって本来の姿になってきております。
なんかもう忘れてほしいんです。僕のことなど。
覚えてくれている方がいらっしゃるのであれば、どうか忘れてください。
そして願わくば、完全に忘れ去られた頃に僕のやる気スイッチが変に入って、どこからともなくフラッと現れ、まったく予想外の角度からとんでもない一撃を叩き込んで、呆気にとられる全員を完膚無きまでに黙らせて、そんで静かに去りたい。
そういうのがあってもいいかもな、って思います。
そういうのがなくても別にいいや、とも思います。