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右半分だけ覗かせる

自衛隊員だった友人がおりまして。
なんというか「豪傑」を絵に描いたような奴なんですね。
出生時にデリカシーというものを母体にすべて置き忘れてきたかのような性格でして、ヒョロヒョロで色白で他人の顔色ばかりうかがっていたような僕とはまったく違うタイプの人間なのですが、何故か馬が合うと言いますか。
近頃はすっかり疎遠になってしまいましたが、当時は随分と仲良くさせてもらっておりました。
そんな友人から昔聞いた話です。

今はどうなのかわかりませんが、こいつがまたバイタリティの塊のような奴でして。日々の訓練だけでは飽き足らず、毎日のように空き時間には自主的にトレーニングをやっていたそうなんです。僕は自衛隊には入ったことがないし、入ろうという発想すらなかったのでよく知らないのですが、なんかトレーニングルームとかそういった器具や設備が用意されているみたいでして。
で、その日も夜な夜な一人でトレーニングに勤しんでいたワケです。
ふと気づくと出入り口の扉のところで誰かが顔を右半分だけ覗かせて中を覗いているのに気づいたそうです。男性のようです。
元々、他人の顔を覚えるのが苦手だった友人はそれが知り合いなのかどうかもわからず、でもいつまでも覗かれていても気が散るということで声をかけたそうなんですね。

「そんなところで覗いてないで一緒にやろうや」

そうするとサッと顔を引っ込めたそうです。

「陰気な奴だな……」

そう思い、トレーニングを続けるのですが、またしばらくするとこちらを覗いています。さっきと同じ奴です。やはり顔を右半分だけ覗かせて。
友人もそんな性格ですから、その煮え切らない態度に少しだけ苛立ちを覚えたようでして。捕まえようとしてそいつが覗いている出入り口までダッシュで向かったそうです。あと数メートルという距離まで近づいたらまた顔を引っ込めたらしいのですが友人はそのままの勢いで出入り口を出て追いかけようとしました。

ところが。
いないんです。左右を見渡しましたが見当たらない。隠れられそうな所もない。
ここに至ってようやく友人は気づいたそうです。
あぁ、そういうことか。と。
というのも、この友人。昔からいわゆる「見える人」でして。こういった体験は初めてではなかったそうです。
しかし見慣れているとは言え、やはり気分の良いものではありません。友人はトレーニングを切り上げて部屋に帰り、やることを済ませて早々に寝ることにしました。

その日の夜中。
寝苦しさから目を覚ました友人は部屋に充満する嫌な空気に気づいたそうです。
直感で「さっきの奴がいる」と確信しました。そして、それと同時に

「こっちは好意で声をかけてやったのに無視をした挙げ句、夜中に起こしてくるなんて。人としての常識はないのか」

と憤りも覚えたそうです。
そもそも相手は生きている人じゃないし、常識云々を超越した相手に何を言っているんだ、ってな話なのですが仕方がありません。友人はそういう奴です。
考えれば考えるほどムカムカしてきたようで、しまいには

「決めた。殴ろう」

と決心したそうです。
さっき知ったばかりの奴を殴ろうと決心したのです。この場合、常識がないのはどっちなんでしょうか。でも仕方がありません。友人はそういう奴です。寝起きも悪いです。

そうと決まれば話は早い。寝ていたベッドから降りて臨戦態勢に入る為、友人は上半身を起こしました。
その瞬間、違和感に気づいたそうです。
夜中の薄暗い部屋の中で「何かがおかしい」と動きを止めます。
そのままゆっくり足元に視線を向けました。


さっきのあいつが、足元のベッドのふちから顔を右半分だけ覗かせてこちらを見上げていたそうです。

上半分ではありません。さっきと同じ右半分。
要するに顔が横向きになっているんです。体勢的には少なくとも肩は見えてないとおかしいのですが、顔だけだったそうです。
想像するとその異様さが伝わりますが、あまりに現実離れした状況にかえって冷静に観察できたと言っていました。
友人はそんな半分だけの顔と一瞬だけ見つめ合った直後に

「てめぇコラァ!!」

とその顔に思いきり蹴りをお見舞いしました。
つい今しがた「冷静に」とかなんとか言ってませんでしたっけ、なんて聞くのは野暮ってなもんです。何度も言うようですが友人はそういう奴です。
しかも蹴り一発だけじゃ気がおさまらない友人は追い打ちをかけるように、すぐさま相手の髪の毛を掴み、ダメ押しの一発を喰らわせようとしたところで相手が霧散したのを感じたそうです。

「逃しちゃったよ。蹴りと髪の毛を掴んだところまでは感触があったんだけどなぁ」

と、まるで釣りに行ってちょっと大きめのブラックバスを逃したみたいに残念そうに言う友人を見て僕は思いました。


いや、お前が一番怖いわ。
と。


その後、顔を半分だけ覗かせる男が出てくることは二度となかったそうです。


さて。
僕だけでしょうか。覗いていた男に同情してしまうのは。


お金は好きです。