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サヨナラを、僕じゃない誰かの君に

地球温暖化がどうのこうのなんて言いながらも、相変わらず冬はしっかり寒い。夜道を歩きながら僕自身が吐き出す白い息を見て、ふと君を思い出した。

初めて出逢った日のことは今でも覚えてるよ。先輩からすすめられて僕たちはいつからか一緒に過ごすようになった。実はさ、ここだけの話だけど、僕は「最初の一回か二回だけでいいや」って思ってた。今思えば最低だよね、ごめん。そんな適当な気持ちで君と一緒に居たなんて。でも結局僕たちは離れられなくなって、何年も共に過ごした。
時間を持て余して退屈になれば君を頼った。思い通りにならないことで苛ついては君を頼った。つらいことがあれば君を頼った。いつだって僕は君を頼るばかりだった。
日中であっても夜中であっても何度も何度も君を求め、そして君は応えてくれた。朝になって目が覚めるとすぐ横に君の姿を確認して安堵したものだ。
こんな日がずっと続くのかな。
いつかは離れ離れになる日が来るのかな。
そんなことを考えたりもしたけれど、なんとなく僕たちはずっと一緒にいるって思ってたんだ。なんの根拠もないのにね。
そんなときだった。
今の妻の妊娠が発覚した。

喜びもあったよ。自分に子供ができるなんて。そりゃ嬉しかったさ。でもね、やっぱりそれと同時に君のことが頭に浮かんだ。
そりゃそうだよね。こうなってしまった以上、君とはもう一緒に居られないから。いつまでもこんな関係が続くはずがなかったんだよ。僕たちだって歳をとるんだ。

若い頃から離れたりくっついたりを繰り返していた僕たちは、その度に「結局元の鞘に収まってんじゃねぇか」なんて周りから茶化されてた。きっとみんな今回もそうなるだろうと思っていただろうね。もしかしたら君もそう思っていたかもしれない。
実際に娘が産まれてからも何度か君を頼ったことはある。妻には絶対に言えないけど。夜、誰も見ていないところで夢中になって君を求めた。その度に僕の気持ちは何度も揺らいだ。いっそ元の関係に戻るか、そう思ったことは一度や二度じゃない。でも、僕はそうしなかった。
そうやって少しずつ、少しずつだけど着実に僕たちの距離は開いていき、そしていつからか離れ離れになった。

未練なんか一切ない……なんて言いたいところだけど、今でもやっぱり君を思い出す。夢に見ることだってある。そんな朝は目が覚めるとなんとも言えない気持ちになるよ。
でも僕が悩み抜いて決めたことだ。本当に自分勝手な話だけど、僕の性格をよく知っている君なら笑って受け入れてくれると信じている。
最低だと言われようとも、人間のクズだと言われようとも。僕はもう振り返らない。できるかどうかはわからないけどさ。そう心に決めたんだよ。

急に改まってこんなことを君に伝えているのには実は理由があるんだ。
ついこないだの話なんだけどさ、コンビニの前を通りかかったときに懐かしい匂いがして、ふとそっちを見たんだ。
そこには仕立ての良いスーツを着た男と、そして、君がいた。

風の噂では聞いてたよ。僕と別れた後、君は他の誰かと一緒に居るって。勿論、僕にそれを責める資格なんかない。わかってるよ。去ったのは僕の方だ。君を必要とする人は絶対にいる。僕が保証する。「出逢わなければよかった」なんて悲しいことは言わないで。僕とずっと一緒にいてくれてありがとう。最後の最後まで勝手なことばかり言ってごめん。

サヨナラ。


あ、これ煙草の話です。



辞めてるんです。煙草。
もう長いこと吸ってません。昔は左手に持ってる火のついた煙草の存在を忘れて、右手で新しい煙草に火をつけるくらい吸ってました。元祖二刀流です。完全に馬鹿です。

よく「もうそれだけ吸わなかったら吸いたい気持ちなんかなくなったでしょ?」なんて言われます。何を根拠にそんな馬鹿げたことを言っているのでしょうか。オールウェイズ吸いたいです。隙あらば吸いたいに決まってるじゃないですか。喫煙スペースとかで吸ってる人の煙草をふんだくって三回くらい吸ってから走って逃げたろかしら、なんて思う程度には吸いたいですよ。そりゃ。
あと「煙草を辞めたらご飯が美味しくなる」なんてことも、まことしやかに囁かれておりますが、そんなこともないです。あくまでも僕の個人的な意見ですけど。ご飯はいつだって美味しいです。食べ過ぎちゃうくらい美味しいです。あんなもんはただの迷信です。

なんなんですかね。煙草なんてオギャーと産まれたその日からスパスパ吸っていたならいざ知らず、別になきゃないで全然生きていけるんです。現に吸ってない人もいるのですから。なのに、どうしてこんなにも吸いたい気持ちが完全になくならないのでしょうか。百害あって一利なしなんて言われますが、ここまで吸いたい気持ちが消えないということは一利くらいはあるんでしょうね。きっと。
もはや一種の呪いみたいなもんだと思っています。おそらくご先祖様が白蛇か何かを殺した祟りでしょう。業というやつですね。『業というやつですね』って、よくもまぁここまで自信満々に他人に責任を押し付けられるな、って思います。いや僕のことですけど。

思えば二十代の頃はバンドマンなんぞをやっていて、酒にも煙草にも溺れておりました。やりたいことは日々、現在進行系ですべてやり尽くしていて、いつ死んでもいいなんて本気で思っていました。手応えのあるライブをやったときなんかは「このままステージの上で死にたい」と思ったこともあったし、大好きなバンドの最高のステージを見たときは「この瞬間なら死んでもいいや」なんて思ったこともありました。音楽の夢を諦めて、バンドも辞めて燃え尽きて、ただダラダラと日々を消化しているときも「別にいつ死んでもいいんだけどね」なんて思いながら過ごしておりました。
でも、僕は死にませんでした。
死ぬべき瞬間に死ななかった僕は、次の「今なら死んでもいいや」と思える瞬間までは生き延びねばならんのです。そして、生憎というか幸いなことにというか、その「今なら死んでもいいや」と思える瞬間はしばらくやって来ないようなんです。娘もまだ小学一年生ですし、嫁ともまだまだ一緒に生きていきたいもんでして。死神の靴を舐めてでも生き永らえたいのです。それを考えると煙草なんて吸ってられません。あんなもんはロープやナイフを使ってないだけの自殺行為なんです。ほんの少しでも生きる確率を上げていかないとダメなのです。この世にしがみついていかんとダメなのです。でも吸いたいんです。もう吸いたくて仕方がないんです。どうしましょう、この堂々巡り。我ながら情けなくて泣けてきます。木綿のハンカチーフください。
何が苦しいって、結局死ぬまで我慢し続けねばならんというのが確定しているのが苦しいのです。ゴールとご褒美があるから人は頑張れるのだと思います。

だから僕は決めました。

“最後の晩餐は何がいいか”なんて話をしたことは皆様もあるとは思いますが、僕は煙草がいいです。メシはいりません。僕の最後の晩餐は煙草で決まりです。セブンスターを一箱吸いきって死にます。それでいいんです。
その瞬間を楽しみに僕は残りの人生を我慢して生きていくのです。

心に決めたからには初志貫徹です。鋼の意志よ。今こそこの胸に宿れ。


……いや、初志貫徹って言うなら一番最初に「今後は吸っていこう」って決めたときの気持ちはどうなるんだ、なんてこの期に及んでダメだったときの言い訳を早くも探し始めている自分が本当に嫌です。自分のこういうとこホント嫌い。イライラするな。吸ったろかしら。もう。



お金は好きです。