読順③「時系列」で見る入管行政の問題

大きなトピックとなった事件、制度変更等を時系列的にまとめました。集められるだけの情報の中から取捨選択し、だいぶ簡略化しています。

昨年から今年にかけての動きについては、拙稿の過去記事「入管行政の最近の動き(報道)」を参考にしてください。https://note.com/kuro_refugee_jp/n/n76605e841dd5

また、入管行政・入管法の対象には、当然「技能実習制度」も含みますが、紙幅・編集の都合上、後で別枠で記事掲載することとします。(たくさんある個別の事例(事件)も載せたいですが、紙幅の関係で割愛します)

1951年 出入国管理令公布

1978年~ インドシナ難民受け入れ

1975年のベトナム戦争終結後、社会主義体制になったベトナム、ラオス、カンボジアからは、迫害や混乱を恐れる300万人以上がボートや陸路で国を脱出。日本政府は1978年~2005年にかけて約1万1千人を受け入れた。

1978年 マクリーン事件

米国人ロナルド・アラン・マクリーンが1969年5月、語学学校の英語教師として来日し、在留期間の更新を求められたが、1970年5月入管当局が拒否。決定を不服としてマクリーンは提訴し、一審判決は更新を認めない入管当局の処分を取り消したが、控訴審は一審判決を取り消し、最高裁でマクリーン側の上告を棄却。「外国人の受け入れは国家が自由に決まられる」「法相の裁量は広範である」「外国人の基本的人権は在留制度の枠内で与えられている」という点に要約され、入管当局は、この判例を行政的な決定を正当化する根拠とすることが多い。

1981年 日本が難民条約に批准

1982年 難民認定制度の創設(出入国管理及び難民認定法に改められる)

2002年 中国・瀋陽日本国総領事館駆け込み事件

在瀋陽日本国総領事館において、2002年5月8日に発生した事件。いわゆる脱北家族とされる5名が、同総領事館に駆け込もうとしたところを、中国の武装警官に取り押さえられたが、その際、武装警察が総領事館敷地内に無断侵入していたことも含め、日本側の庇護希望者への対応が問題となった。2005年の入管・難民法改正に影響を与えた。

2002年 閣議了解「定住支援」「内閣に連絡会議の設置」

2002年8月7位日の閣議了解「難民対策」について

難民認定者に対する「定住の支援」(「日本語習得のための便宜供与、職業紹介又は職業訓練」など)を行うこと及び内閣に「難民を巡る諸問題」についての連絡調整機能を有する「難民対策連絡調整会議」を設置することが定められた。

2005年 改正法施行(2004年成立)

1.「60日要件」または「60日ルール」と呼ばれていた申請期間制限の規定(本人が日本に来た日(日本にいる間に難民となる事由が生じた人はその事実を知った日)から60日以内に難民申請しなければならない)が撤廃された。

2.難民審査参与員制度の新設。これは法務省に属さない在野の法曹や学識経験者のなかから法務大臣が任命するもので、難民の不認定処分への審査請求に際して難民を主張する申立人などを審尋したり、法務大臣がその審査請求に決定を下すに際しても事前に意見を提出したりする。

3.難民認定/不認定に伴う在留資格の付与(「人道配慮」を含む)

 ①難民認定を受けた外国人が認定時点で中長期在留資格を有しない場合には、在留資格変更許可(何らかの在留資格を有する場合)、または在留特別許可(何らの在留資格も有しない場合)を難民認定処分の告知時に行い、「定住者」(3年間)の在留資格を付与する取扱いをするようになった。

また、

 ②難民不認定処分を受けた外国人に「人道配慮」を行う場合には、その者が不認定処分時に既に10年間以上平穏に日本で居住していた場合には「定住者」を、それ以外の場合には「特定活動」を、在留資格変更許可、または在留特別許可をもって付与する取り扱いになった。

4.難民申請中の在留資格--「仮滞在」「仮放免」「特定活動」

 ①「仮滞在」制度の創設により、従来であれば”不法”の状態で結果を待たざるを得なかった申請者の一定部分が仮の地位を与えられて在宅状態で過ごすことが可能になったこと、

 ②「短期滞在」等の在留資格がある状態で難民申請に至った申請者につき、従前は少なくとも一次不認定処分後は短期滞在の期間更新が不許可とされ、意義段階では収容され、”不法滞在”状態で決定を待たざるをえなかったものが、意義の決定までは「特定活動」の在留資格を更新され続ける実務に更新されたこと、③さらには、上記②の「特定活動」については、(一次)申請から6か月間が経過すれば就労可能な活動内容が指定される取り扱いになった。※実際の実務上の許可率は低迷している。また、「特定活動」の在留資格については、申請後6カ月間は就労が禁止された活動指定がなされるため、この間の生活費が絶たれてしまう実情がある。

2005年 カプランさん強制送還事件

2005年1月、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が難民と認めたトルコ国籍のクルド人、カプランさん(仮名)とその長男が、法務省入国管理局(入管)に収容され、翌日にトルコに強制送還された事件。

2004年7月、カプラン一家は仲間のクルド人申請者ヤマンさん(仮称)一家とともに、UNHCRの事務所がある東京・青山の国連大学前で座り込みを行い、自分たちが「マンデート難民」であり、日本による庇護が必要であると訴え続けた。支援団体を中心に6万の署名が集まり、法務省に請願したが叶わず。カプランさんヤマンさん兄弟が焼身自殺を図るなどして抗議したが、支援者らの説得により座り込みによる抗議を終えた。翌年1月に収容され、トルコに強制送還された。この事件はTVなど複数のメディアで伝えられたこともあり大きな波紋を起こした。その後、支援者の尽力により、カプラン一家はニュージーランド、ヤマン一家もカナダで合流することができ、難民として受け入れられた。

2006年~ 定住支援の開始

2006年以降、RHQ支援センターを受け皿として、難民認定者への日本語教育、社会生活指導、職業訓練及び職業紹介が実施される。

2010年 初の「第三国定住」

2010年9月・10月に、タイの難民キャンプに滞在していたミャンマーからの難民を第一陣として受け入れた。これ自体は画期的な出来事ではあったものの、受入れ人数がごく小規模に止まっていること、家族単位での受入れに事実上限定していること、日本到着後の職業訓練や子どもの教育などの過程で様々なトラブルが発生した。

2010年 入国者収容所等視察委員会の設置 

法務省は収容施設の運営を監視する機関として入国者収容所等視察委員会を設置。

2012年 改正入管法・改正住民基本台帳法施行

外国人登録制度が廃止され、外国人住民票制度と在留カード制度が創設された。これにより、在留期間が3カ月を超える在留資格(「短期滞在」以外)を有する外国人や、「仮滞在」許可者、一時庇護上陸者は、外国人住民票の登録対象になった。その結果、難民申請中の外国人の相当分が新たに外国人住民として登録され、居住する市区町村の行政サービスを受けやすくなった。

他方、3カ月以内の期間の在留資格しか有しない申請者や、”不法”状態(仮放免も含む)にある申請者は、外国人住民票の登録対象外とされ、在留カードの付与対象外でもあるため、行政サービスからも疎外されがちな状態に置かれてしまっている。

2015年 ヨーロッパの難民危機

2015年は、シリア、アフガニスタン、ソマリアの3か国からの難民(3か国で全難民の54%を占める)が地中海を渡って安全と保護を求めて逃れてくる人々の数が100万人を超え、ヨーロッパにも大量の難民が流入した。

2015年 難民申請の抑制策①

入管当局が「難民認定制度の運用の見直し」を発表、「正当な理由なく前回と同様の主張を三回以上繰り返す申請者」の正規在留を取り消す方針を出す。

2017年 難民審査参与員による不適切発言

兵士から性的暴行を受け日本に難民申請のため訪れたコンゴ民主共和国出身の女性に対し、同局で審査に当たっていた男性の難民審査参与員が「美人だからか」などと発言していたことが明らかになった。女性は法務省に対し抗議したが、同省は計4度に亘り放置していた。これを受け上川陽子法務大臣は「(参与員の発言は)不適切だった」とコメントした。

2018年 難民申請の抑制策②

「難民認定制度のさらなる運用の見直し」と称し、申請から半年後に一律に就労を認めていた運用を廃止。また、正規在留を取り消す対象を「三回以上繰り返す申請者」から「二回以上繰り返す申請者」に厳格化、一部の申請者には就労を許可するものの、元技能実習生や留学生には就労を認めないこととなった。

難民申請者を二カ月以内に、①難民の可能性が高い、②明らかに難民に該当しない、③再申請の繰り返し―などに分類し、②や③の該当者には在留期限終了後に強制退去手続きすることとなった。

2019年 「出入国在留管理庁」へ再編・格上げ

4月、法務省の外局として「出入国在留管理庁」が設置される(法務省入国管理局は廃止)。

2019年 「特定技能」資格制度の開始

新たな在留資格として

・特定技能1号:不足する人材の確保を図るべき産業上の分野に属する相当程度の知識又は経験を要する技能を要する業務に従事する外国人向けの在留資格(農業*漁業*飲食料品製造*外食*介護*ビルクリーニング*素材加工*産業機械製造*電気・電子情報関連産業*建設*造船・舶用工業*自動車整備*航空*宿泊)の14業種で受け入れる。
・特定技能2号:同分野に属する熟練した技能を要する業務に従事する外国人向け この二つを創設した。

2018年 牛久の入管施設でインド人男性自殺による死亡

入管収容施設(東日本入国管理センター)で4月13日、インド人男性ディパク・クマル(Deepak Kumar)さんが自殺を図ったとみられる状態で発見された。クマルさんの死を受け、牛久の入国管理センターでは被収容者約70人がハンガーストライキを行った。その他の入管収容施設でも処遇をめぐり抗議が行われたという。

2019年 牛久の入管施設で27人がハンスト、大村ではナイジェリア人が餓死

(ハンストについては、かなり前から起こっていたそうですが、最近の大きなトピックとして。)

参考文献・URL

平野雄吾、『ルポ 入管―絶望の外国人収容施設』(ちくま新書、2020年)

難民研究フォーラム、『難民研究ジャーナル 第2号(2012)』、2012年

AERAdot 「体重71キロが47キロに…入管収容者の餓死 外国人に人権ないのか?」https://note.com/kuro_refugee_jp/n/n76605e841dd5