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『赤えんぴつは消せない』①

昔書いた文章が出てきたので供養してあげたいと思います。平成30年6月12日(火)、まだ自分の事をうつ病だと勘違いしていた頃の文章を書き起こしました。その為現在発覚している事実とは異なる点がいくつかありますが一つの日記として公開いたします。いわゆる原文ママなのでお見苦しい点もございますがご了承下さい。

 私は発達障害の診断を5年前に受けた。ちがう。1年程前に受けた。(記憶が曖昧ですみません。)告知が1年程前、診断がその位前だと思います。当時の私はいわゆるアラサーでした。周りは結婚ラッシュでした。私は、実家で病気療養中でした。病気とはうつ病です。「うつ病です。」と言いましたが、今だにこの病名には懐疑的な私です。

 ここでこの文章で何が書きたいかと言いますと、自分でもわかりません。何かを人に伝える文章を書こうとすると頭が真っ白になってしまうし、誰が読む訳でもない文章を書くのはもっとできません。「“言い訳の達人”になってしまわぬよう、とにかく何か始める」「自分の作品にニーズがあるかをよく考えて」等々、ネットで読んだ情報が頭の中でぱんぱんにけんかをしていて、苦しくなり、「もう、散文でいいから何か書く」という結論になり、パンを持ちました。しかし、私の机の上は散らかっているので、ベッドの上で書いております。

 不本意ですが「うつ病」の話に戻ります。私は発達障害の中でもADHDとASDの併発のようです。そしてグレーゾーンです。大学合格と同時に「抑うつ状態」と言われる状態に陥りました。そのとき19才だと思います。19才の私は色々わからないことが多すぎて毎日、怒り悲しみ等の負の感情と毎日血みどろの殴り合いを繰り返していました。たくさん怒って泣いてあざけって、周囲にどろをなげつけていました。でも今思い起こせば、後々わかってくることは、その時は知らなくていいことが多かったです。「あの時知ってれば」は、私の場合は、「今、〇〇がつらい。いやだ助けてどうにかしろ」の言い換えに過ぎなかったように思います。当時の私は、本当にもがき苦しんでいました。しかし、発達障害もうつ状態も不眠もコンプレックスも、周囲の人にははっきりと見えるものではなかったようです。(私は私で、周囲の人が感じた気持ちを経験するのはとても難しいと思っています)そんな時に、同じ病気の方々の体験記を読んでは、嫉妬や、自分の認識と本の内容とのズレそのものに対して怒り泣き狂っておりました。(つづく)(たぶん)


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