眠気と病気と貧困と

すぐ眠くなる(それも昼間限定)のは損だ。眠いとやる気がむくむくと湧いてくる。これは人は不快指数が最も高いもの一つしかきちんと感知できないことから来ていて、精神的な辛さを眠気が追い越した瞬間あれもしたいこれもしたい、が訪れる。しかし眠いから寝るしかない。用事がまだ済んでないなら白目を剥きながらする。

ご飯の味もうまくわからないしひどい時は食べながら寝てしまっていた。食べるのが遅いから満腹感で眠気が閾値を超えたのだ。まるで赤ん坊だ。

そう。精神病(私の場合双極性障害)にかかると赤ちゃん並みのケアを自分に施さなければならない。育児は24時間だ。働く時間なんてない。私の場合スキルもない。でも大人の赤ちゃんをケアする十分な制度がこの国にはない。

重度の人にはあるのかもしれないけど私のように中途半端に出歩けたりする人に対しては月々数万円の援助が関の山。憲法に記載されている健康で文化的な最低限度の生活なんて守られない、と友人に漏らしたら、「どこにも行くな、文化のレベルを下げろってことかな」と言われた。

文化は私の命の源のうちの一つだ。奪われたくない。それでも国にとっては自己責任なのだろうか。そもそも大貧困の発達障害の人間がいるという事実が認識されていない気がする。

困っている発達障害者とは性格に難ありの人の自己責任の案件としか捉えられていないのではないだろうか。国会議員にも相当数当事者がいそうなのに。

当人しか感知できない感覚なのだからわからなくて当たり当たり前なのだけど、過集中とか本当に自分で自分を止められないし「自分で自分を止められてなかったな」と気づくのが10年後とかザラだ。

そんなおかしな感覚でこの繊細な空気至上主義社会の中をうまく渡っていけるはずがない。気づいたら谷底で途方に暮れている。山の中腹で安いアパートでも借りて猫と暮らして暮らしてるはずだったのにどうして?

あんなに蔑んでいた、働かずに男の給料で家計を運営する専業主婦になりたいなんて言い出したのはいつからだったっけ?私が私を捨てたのは。私はバリキャリになるはずだった。

同級生みたいに。恋愛も結婚もそれなりにできて親を喜ばせたかったのになんで殺意抱く喧嘩喧嘩を繰り返さなければならなかった?私は普通に行きたいだけなのに。病気になったら何もできん。

色々できるけど、節目節目できつい現実と向き合わなければならない。将来の貯金2000まんえんって何?入ってくるお金は生活費に消えるよ。私の若い時間もどんどん薬にすいとられるよ。ぼーっとするからね。


元気になった私は正直喜びより途方に暮れると思う。ここから今からどうしろと?今が一番若い?は?明らかに劣ったこの脳みそで何ができる?ストレスかけたら再発するから下手なことはできないし。かと言ってもう経済的精神的援助してくれる親も高齢で無理が出てきた。その時私はどんな決断をするのだろう。見物だな。

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