見出し画像

無職やお金に困ってる人にアンケート取ってるというから答えたやつを貼る

【性別】 女
【年代】  30代前半
【都道府県】 大阪府
【現在の仕事】 無職
【パソコンの有無】 持っていない(iPadにキーボードをセットすることはできる)

私の状況は19歳の時に急に一切眠れなくなり、そして反抗期がやってきました。生まれつきの発達障害ASDのせいです。その二次障害として双極性障害II型になりました。一般的に強いストレスが引き金となり若者に発症しやすい病気で自分の繊細さに鈍感なASDはかかりやすいのです。大学受験が引き金でした。当時の病院では鬱と誤診され抗うつ薬を大量に処方されました。いわゆる多剤投与です。これは双極を悪化させる誤った治療で私は一向に眠くなりませんでした。あるいは一日中気絶していました。這うようにして6年かけて命をかけて叫びながら卒論を書いて卒業しましたが、その後実家にて寝て数年過ごしてました。その時期が過ぎたら一日中座って窓の外を見て数年過ごしました。夜に帰ってきた家族に何もしないで何やってると怒られましたが身体がだるく心も暗く動けませんでした。外とのつながりはたまの犬の散歩、習い事(月1なのによく休むし毎回遅刻する)、家族で祖父母宅やお寺に行くくらいでした。常に寝不足なので車酔いがきつかったです。27で事務的な事がきっかけで2人目の医者が正しい診断にきづき、薬と書類上の病名が双極性障害へと一新しました。それまでの誤った治療に対して何の説明も謝罪もなく、重ねて初めて「あなたは発達障害です」と言われました。主治医は発達障害専門医ではないため告知の仕方が下手でした。私は「障害」とききもう死のうと思いました。「治らないのですか?」に「治らないです、でも…」の後のことは覚えてません。すでにインフルエンザ並みの倦怠感、焦燥感、不眠による自律神経失調症、味覚障害、拒食、そして何より強い疲労感が始まって10年近くが経とうとしていました。それが治らないのであれば発狂して迷惑をかける前に死ななければと思いました。それでも踏み止まり障害年金を申請する事にしました。しかしそれもうまくいきませんでした。社労士の態度にヘソを曲げて絶対に審査に通らないであろう内容の診断書を書いてよこしたのです。5000円。書いてくださいと言って書かなかったら診療拒否になって僕が犯罪者になるから仕方なく書くよと言われた時点で転院するべきでした。障害年金は過去の分を遡れるのは初めの一回だけです。今新しい病院で適切な治療とケアを受け週一回社会復帰のための生活訓練施設に通い年金が通り給付を待ち侘びている今も幻の240万円(五年分の遡及)が惜しくてたまりませんし前の主治医が憎いですが医師を訴えて勝てるはずもありません。他にも性被害とか発達障害の自助会で立ち直れた話、外ヅラは完璧だけど無自覚尊大型発達障害の父とそのカサンドラと元々永遠の女の子の母の話など尽きませんがこのくらいにしておきます。まぁこんなんで働けるわけないよねという話でした。ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?