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小論文解答例「京都工芸繊維大学」

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小論文の予備校をされている「お湯先生」がtwitter上でとても面白そうな企画をしているのを見ました。

この設問、、、どうしても書かずにおれなくなってしまうような面白い小論課題でした。

せっかくなのでやってみよう!と思い、自分なりの解答例を作りました。

自分は中学生のときからバンドをやっていて、今回こういうテーマにしましたが、やっぱりいろいろと、どう考えても、自分の中で一番書きたいことって限られてくるなと思います。

ご感想、ご意見あればお願いします。

解答例

 音楽において、まず、「現在」とは「今この瞬間に鳴っている音」であり、「過去」とは「鳴り終わった音」である。
 私達は「現在」という瞬間に、音楽の「今この瞬間鳴っている音」のみを聴いている。しかしそれだけだろうか。鳴り終えたシンバルの残響音が減衰していく奥ゆかしさ、心の叫びにも等しい情熱的な詞を味わうとき、私達は「今この瞬間に鳴っている音」だけでなく、その前の瞬間にどれだけのシンバルのアタック音が響いていたのか、その前の瞬間に歌い手がどれだけの感情を言葉に託して発話していたのか、記憶しているはずである。その記憶、つまり「鳴り終わった音」と、「今この瞬間に鳴っている音」を複合した上で、私達は楽器の強弱をつかみとり、言葉を理解してその鋭利さに心を躍らせることができるのだ。
 ではあと一つ、「未来」とは何か。音楽の「現在」と「過去」を同時に取り込んだとき、ごくまれに強烈な感動が身体を震わすことがある。言葉であれ演奏であれノイズであれ、聴き手がこれまでに体験したことのなかった感動を覚えると、不思議なことに、「ああ、自分はこの瞬間を待っていた」と感じる。本当に物理的に全く同じ音が鳴り、その瞬間が来ると思っていたわけではない。それなのになぜか、「ずっとこの瞬間を待っていた」と打ちのめされる。音楽は音を鳴らさないと聴き手に伝わってこない以上、「未来」は存在しないはずだ。だが、その音楽が鳴る会場に足を向けたり、イヤホンをして再生ボタンを押したりしたときから、実は私達は「いつか自分の魂が救済されるような体験」を未来に求め続けていたのではないだろうか。そうして得た「救済体験」こそが、音楽における「未来」である。
 この体験はあくまで「現在」の瞬間の中に現れるが、その体験が聴き手の人生を変えてしまうことだってある。そういう意味でも音楽における「救済体験」は「未来」に位置づけるべきものだと考える。(800字)

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