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【episode 0.5】取扱説明書③|中学生~高校迄

取扱説明書の続き。
高校生くらいまであんまり明るい話がないんですが、
私のルーツを話すには
必要な要素が結構あるので
書かせていただきました🥲

中学生

茶色のカーディガンが着たくてしょうがなかった時代

中学校に入ると、今度は先輩に目をつけられる日々。
治安が悪いわけではなかったが、一個上の先輩たちがすごく怖かった😐
(女性の方は中高のどちらかで経験ある方多い気がする)
とりあえず、先輩が怖そうな部活はやめておこうと思って、
テニス部とかは一旦除外しようと無意識に思った覚えがあるw

結局部活はソフトボール部に入った。
父親が野球が大好きで元高校球児だったのがきっかけだ。
うちは姉妹なので、男の子がいない。
きっとキャッチボールとかしたいんだろうな、、、
やりたい部活とかあんまり思いつかんし、ソフトボールだったら親も喜びそうかなという安易な気持ちで入部。
(ここでも私の性格を発揮するw)
そしたら謎にすごいピッチャーの子が入学し、
あれよあれよと勝っていき、最後の大会では中国大会まで進んだw
私運動神経悪いんだけどなあ。。。。って思いながら練習してた。

ちなみに部活の話ばっかりしていたが、
タイトルにある茶色のカーディガンは、
憧れの先輩が着ていて、私も3年生になったら着るぞ!と決めていたが、
いざ3年の秋頃に買おうとしたときに同級生に、似合わないからまじでやめたほうがいいと止められて、悲しみながらやめた、、、、
外の部活で日に焼けている&地黒だったので、
全身茶色になるぞと友だちに言われて、トラウマ者だったw
そういえばあだ名はケニア人だった。。。
(私はケニア人を差別したいわけではなく、多感だった時期にこのあだ名は嫌だったということが伝えたいだけです)

高校生

学力のピークは高校入学時

中学の時から、塾に行っていた私は、
塾の先生から県で一番いい高校にみんなはいるんだぞ!と言われ続け、
その高校に入ることがゴールになっていた!
見事好成績で入学を決めたものの、
入学がゴールだった私の学力のピークは完全に入試となった笑
ここから成績はガタ下がりする😥

田舎の進学校あるあるかもしれないが、
基本的には国公立しか受け止めてもらえないタイプの高校で、
国公立に受かる程の学力を保てなかった私は、
大学受験をするときに無駄に国公立受験をすることになる笑
絶対受からないのにな~と親も私も思っている謎の受験だった。

高校のときはハンドボール部女子のマネージャーとして入部。
今までマネージャーがいたことない部活なのに、
謎にマネージャーがしたいんだと入部し、最初最後のマネージャーをやった笑
最初で最後だったこともあり、
顧問はずっと選手にいつかしてやるという思いで指導をしていて、
練習メニューを作ったり、
テーピングの巻き方を覚えたり、
審判の練習をさせられたり、
思ってたマネージャーではなかった笑
しかしこの経験が、私の大学時代の活動や社会人人生の根底を支えている。
このときの経験がなかったら、私は誰かのために働くことはできなかっただろう。

人生を変える本と出会う

志望校を決める時期になっても
明確に将来なりたい姿も職業も思いつかず、
なんとなく経営学部でずっと模試の志望学部を書いてた✏️

小学五年生の時に魔法使いだと思った美容師さんになる夢は
母親に大学だけは、行って欲しいと言われ、
大学行ったあとに専門学校行ったら
高校卒業してからあと6年も学生生活が続いてしまう
それは無理
ってなったのでやめた。
この歳のときの母親の一言は意外と重くて逆らえなかった。

さーてどうしたもんかなあと思った私は
小さい雑貨屋さんとかしたいなと急に思い、
経営学部と書き続けるのである。

そんな中運命的に有川浩の県庁おもてなし課という本と出会う。
元々有川浩の本が好きだった私は、ただ新しい本が読みたかっただけで読み始めた。
結果、田舎育ちだった私は、
県庁おもてなし課に憧れ、志望学部を政治政策系の学部に大変更😳
(確か、高3の夏とか秋とかだった笑ぎりっぎり笑)
この本は未だにめちゃめちゃバイブルで、
人生に迷ったら読むようにしてます笑

そして憧れだけで、京都の大学を選び、
政策学部に晴れて入学したのでした🌸
(ここからが私の人生スタートってくらい盛り上がってくる笑)

長くない?って思った人もいると思いますが、
明日の大学生編も楽しみにしててください笑

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