見出し画像

令和の件(くだん)

僕たち人類は、古来より様々な天災、飢饉、戦争などに苦しめられている。そして、日本では八百万の神の考え方があり、天災や得体のしれない現象は、妖怪の仕業だとされてきた。

件(くだん)という妖怪がいる。「件(くだん)」は、江戸時代から出現の記録が見られる予言獣であり、漢字が示す通り、人と牛とが一体になった姿の妖怪だ。生まれてすぐに予言を行い、数日のうちに死ぬと言われている。

江戸、大正、昭和と様々な形で出現した件(くだん)は、流行病や飢饉、戦争など時代背景に合わせた予言を残し死んでいったようだ。

件(くだん)人と牛とが一体になった姿の妖怪


ところで、僕は心配性だ。朝起きてから就寝するまで得体のしれない不安感に付きまとわれている。
Wikipediaによると、(僕はウィキペディアが大好き。)

不安(ふあん、英語: anxiety, uneasiness)とは、心配に思ったり、恐怖を感じたりすること。または恐怖とも期待ともつかない、何か漠然として気味の悪い心的状態や、よくないことが起こるのではないかという感覚(予期不安)である。

そう、僕はこの予期不安にいつも付きまとわれている。事故に合うのではないか。仕事でトラブルが起きるのではないか。病気になるのではないか。数え切れない予期不安を抱えているのだが、何が起こるか分からないから不安なのであって、これから何が起きるのかをあらかじめ知っていれば、覚悟を決めることができるのではないだろうか。件(くだん)のように予知や予言ができれば、僕の予期不安も解消されるかもしれない。

では、件(くだん)は今も存在しているのだろうか。この令和の時代においても、予知や予言に対する興味と関心は依然として広がっているから、件(くだん)は僕の身近に潜んでいるのではないかと思う。

でも本当に件(くだん)が僕の目の前に現れて、僕の人生に今後起こるであろう数々の災いを予言したら、僕はその事実を受け止めきれる事ができるだろうか。例えば、天災に見舞われ、命を落とすことが決まっていたとしたら。例えば、交通事故に会い、命を落とすことが決まっていたとしたら。

予言を受けることは、未来の出来事や運命について知ることを意味している。しかし、それによって責任が重くのしかかり、運命を変えることができないかもしれないという不安を抱くことがあるだろう。予言の内容によっては、未来の困難や悲劇を予見してしまうこともあり、その重荷によって不幸を感じることもあるだろう。

予言を聞くことにより、自身や周囲の人々の未来に関する事実を知ることができるが、その未来が良くない出来事や苦難に満ちていることが分かる場合、知らずにいた方が幸せだったのではないかと感じることもあるだろう。未来の苦難に対する不安や恐怖が頭をよぎり、予言を聞いたことでの不幸が生じるのではないだろうか。

やはり、僕は、何が起こるか分からない未来に少しの希望を抱いていて、だから毎日不安を感じながらもどうにか一歩を踏み出せているのかもしれない。僕の目の前に件(くだん)が現れるのは、まだまだ先の事であってほしいものだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?