短編小説:正しい判断

 ドン。と音がして、人が倒れる。

 交通事故だ。若い女性が倒れている。

 あっという間に人だかりができ、その中から一人の男が飛び出して女性に近づいた。

「私は医者です! 誰かAEDと……救急車を!」

 医者を自称する男はテキパキと女性の容態を確認して行く。人だかりの中では電話をする声もあり、そう間を置かずに救急車が来るだろう。

 呼吸音を確認し、瞳孔を確認し、服の下を確認すべく手を掛ける。

 と、人だかりから一人の男が飛び出してきた。

「おい! ちょっと待て!」

 男の声に、医者は振りむく。男は大層怒っていた。

「お前は本当に医者か? 若い女性の裸を見たいだけなんじゃないか?」

 医者は呆れた。確かに自分はこの近くの病院に勤務しており、今日たまたま居合わせたからこうして治療に当たっているのだ。

 とは言え余計な疑惑を持たれて議論をしている場合ではない。手早く名刺を取り出し、男に投げる。男は受け取ってまじまじと見つめる。そして少し、ばつの悪そうな顔をする。

「ほら、この通りだ! 頼むから邪魔をしないでくれ。この女性は一刻を争う」

 医者は焦っていた。患者である女性の状態は思わしくない。適切な処置をすぐに行わなければ死んでしまうかもしれない。

「いや、まだだ。あんたの治療方針が間違っているかもしれない」

 しかし男は食い下がった。医者は理解できなかった。

「そういう事を言ってる場合じゃないだろ!」

「いや! あんたの行為によってその女性が死んだらどう責任を取ってくれるんだ!?」

「そうならないように今真剣に取り組んでいるんだろう!? あんたは医療関係者か!? なら手伝ってくれ!」

 医者の悲鳴にも近い必死の叫びに、しかし男は首を振る。

「いや。全く関係ない仕事をしている」

 呆れ果てた。医者は無視を決め込む事にした。

「医療関係者じゃないからって無視をするのか!? えぇ!? 答えてみろよ、エセ医者!」

 無視!

「答えられないんだろ!? 偽物だからな! この名刺も良く作ってあるよな!?」

「おい、あんた……あの人は一生懸命やってるんだろう?」

 人だかりの中の一人が、男に声をかける。

「一生懸命だから何だ!? あいつはあの女性を殺そうとしているかもしれないんだぞ!」

「そんな風には見えないわ……」「お前の妄想だろ!」「邪魔だ!」

 人だかりは徐々に声を上げて行く。男はやがて自分の不利を悟り、すごすごと退散した。

 医者は内心ホッとした。これで集中して取り組める。

 ピーポーピーポー……

 遠くからこちらに近づいてくる救急車の音。

 状態はかなりギリギリだ。救急車内での処置について想定しながら患者の手当てを続ける。

 そんな最中、別な男が一人、人だかりからまた出て来て叫ぶ。

「お前は本当に医者か! 女の子へのセクハラは止めろ!」

 頭を抱えた。さっき説明した男とは違う男だ。

「バカ野郎! んな事言ってる場合じゃないんだよ!」

 医者は心底叫んだ。人生においてこんなに声を荒らげた事はない。

 罵倒された男は、顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。

「バカとは何だ! バカとは!

 お前は偽物の医者だな!? きっとその女性を殺そうとしているんだ! そうはさせるか!」

 言うなり男は医者に飛びかかってくる! 医者は咄嗟の事に対応できずもみくちゃになる。

 やがて男は周囲から引き剥がされ、どこかへ連れていかれた。連れて行かれる最中も「みなさーん! こいつは医者でも何でもありません! 人殺しです! 人殺しー!」とか何とか叫んでいた。その叫びを聞きつけた野次馬がまた人だかりを形成し、救急隊員の道を阻害する。

 医者の体はぼろぼろだ。だが何より気がかりなのは患者。今ので大分処置が遅れてしまった。

 患者を見ると、呼吸が止まっている。AED、心臓マッサージ、人工呼吸、できる事を必死に、全てやった。

 やがて医者は力なく項垂れて、絞り出すように呟いた。

「……死んだ」


 さて、悪いのは誰でしょう? どうやったら、女性は助かったのでしょう?




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?