うすっぺらの効用
(お題:うすっぺら)
ある日目が覚めると、僕はペラッペラになっていた。
比喩なんかじゃない。頭のてっぺんから爪先まで全身くまなくぺったらこ。腕なんか薄っぺったらくて、まるで紙だ。
「なんじゃこりゃ~!」
僕の悲鳴に、隣で寝ていた彼女が面倒くさそうに顔を上げる。そして吹き出した。
「何でそんな事になったのよ」
彼女は笑いを噛み殺しながらコーヒーを入れてくれている。僕は憮然としてソファでできあがりを待つ。
「知らないよ。僕が聞きたいくらいだ。あ、きっと君の寝返りに踏み潰されたんだね。また太」
「死にたくなければその類の冗談はおよしなさい」
彼女の目は真剣だ。これは本気の怒り。慌てて話題を逸らす。
「で、でも元気は元気なんだよね。どこが痛いって訳でもないし、こうなる前と変わらず物も持ち上げられる」
そう。ペラペラに薄くなっている事を除けば健康そのもの、何も生活に支障はないのだ。
「じゃあそれで良いんじゃないの? 何か、便利そうだし。はい、コーヒー」
「ありがと。どゆ事?」
ペラペラの指先でコーヒーカップを受け取りながら、彼女の言葉の真意を尋ねる。彼女は意地の悪い笑顔を浮かべる。
「どこに行くにも、運賃が半分で済む」
どういう事だろう。しばらく悩んで、彼女が僕の体に何をする気なのか思い当たった。
「君はひどい人だ」
僕の抗議の声にも彼女は悪戯っぽく笑うばかりである。
「現実的で素敵な人、でしょ? 実際これで今度の旅行の旅費が半分になるわ。助かる~」
「旅の途中、僕は君と景色を眺める事も出来ないんだね?」
「顔くらいは出せるようにしてあげるわ。でもそんな体、見つかった方が面倒でしょ?」
確かにその通りだ。言い返せない。
僕の沈黙で彼女は自分の勝利を確信し、パンッとひとつ手を打って悪魔の考えを口にする。
「で、実際どれくらいまで折り畳めるの?」
自分自身が嫌になってしまうけども、彼女の目論見はものの見事にあたった。畳むのはさすがに痛すぎてギブアップしてしまったが、丸める分には痛みはない。息苦しさもない
「決まりね。明日このサイズに合う筒状のケースを買ってくるわ」
この非現実的な現実を前に、彼女はどこまでも現実的である。
半日も経つと、この体の便利さにも気付く。今日は一日掃除をしていたが、棚の裏に落ちていた写真を取ってみたり、床の隙間に体を滑らせて埃を集めてみたり。意図的に動かせる紙状の物質というのは大変便利である。
風呂も楽だ。シャワーで前と後ろをザーッと掛けてお終い。一緒に入ってた彼女からは「洗濯物より楽だわ」との微妙な評価。
「でも、本当に何でこんな薄くなっちゃったのかしらね」
晩酌の片づけをしながら彼女は言う。
「そんなの、僕にだって分からないよ」
腹は膨れたが、ぺらっぺらは変わらずだ。少しくらい膨らんでも良さそうな物だが、少しも膨らむ気配はない。
こんな体になった事に、思い当たる節など当然無い。ある日薄っぺらになっていた事に思い当たる節なんてものが存在するのか知らないけども。
ロードローラーで踏み潰された訳でも、少年が転んできた訳でもない(僕はシャツの中にいる訳ではないしね)。
「きっとあなたが薄っぺらな人間だからね~。よいしょっと」
一通りの家事を終えて、僕の隣りに座りながら彼女が言う。
「何だよ、それ」
「ほら、名は体を表すって言うでしょ? あなたのその性格に合わせて体が変化しちゃったのよ、きっと」
何を適当な!と思ったが、言い返せなかった。これまでの付き合いの中で、思い当たる節がありすぎる。何かと彼女任せ、人目ばっかり気にしてしまうこの性格は、最早見抜かれてしまっているだろう。この同棲だって、彼女から提案を受けたからそうしているだけで、僕がどうしたい、と言う事を言った事はない。度々同様の指摘はもらっていたし、どうにもならない僕の性質なのだろう。
昨晩ふとそれが気にかかって、一晩中考え込んでいた。それが原因かも知れない。
う~んと唸り続ける僕を見て、彼女はクスリと笑って言葉を掛ける。
「まあ寝たら治るかも知れないし? 今日の所はさっさと寝ましょ」
布団に入ってみても、寝付けない。一日中考えていて疲れているのに、頭は妙に冴えている。
……本当に僕が薄っぺらだからこんな体になったのだろうか?
だとして、どうしたら良いんだろうか。今更僕の性格をどうにかしろとでも?無理だろうに。
そうすると、僕は一生この体?それも嫌だ。
……何で僕の事ばっかり気にしているんだろう。隣にいる彼女にだって迷惑をかけてしまうだろうに。
自分が嫌になる。何でこんな性格になってしまったんだろう。
叶うなら、もっと深みのある人間になりたい。彼女の横に並べるように。
どうやったらなれるんだろう。深みがあるってどういう事だろう。
そんな事を考えている内に、思考は遙か水底まで落ちていった。
翌日起きてみると、体は元に戻っていた。
「やった! やったよ! ねぇ起きて! 元に戻ったよ!」
揺すられて起きた彼女は目をこすりながら僕を見て驚いた。
「あら、本当に元通りなのね。残念」
まじまじと観察して、僕の頭頂部を見て笑い転げた。そりゃもう、大声上げて。
「あははははは! あは、あははは!」
「え、何々!?」
僕の質問に彼女が答えられるようになるまでまるまる一分はかかった。笑いすぎて出てきた涙を拭きながら、彼女は教えてくれた。
「頭のてっぺんに、穴が開いちゃってるわ。多分、かかとのあたりまで」
頭頂部を触ってみると、あるはずのない穴が開いている。何なら拳くらいは入りそうな大きさだ。指先は空しか掴まない。深ーい穴だ。
僕は確かに深みのある人間になりたいと願った。だけど違う、こういう事じゃない。物理的に深さのある人間に一体誰がなりたいと思うんだ!?
これは神様のいたずらって奴だろうか。だとしたら神様ってのは相当暇人でどうしようもない奴だ。
「シャ、シャワーとか浴びてここに水でも溜めたら、どうなっちゃうのかしら……プププ」
「笑うなよ」
「ごめんごめん。でもさ。人間こういうもんじゃない?」
「人間にはこんな穴は開いてないでしょ?」
ふて腐れた僕の態度に、苦笑いをしながら言葉を続ける。
「違う違う。知識だとかセンスだとかって、頭から投入して少ーしずつ溜まっていく物でしょ? その積み重ねで深みが増していくというか、ようやく一人前になれる、みたいな」
きっと彼女は適当な事を言っている。でも、何だか妙に納得出来た。
彼女は僕なんかよりずっと深みがある。懐も深い。何でこんなでっかい人が僕と一緒にいてくれてるんだろう。そんな疑問が頭をもたげ、つい口に出してしまう。
「ねぇ、何で君は僕といてくれるの? こんな薄っぺらな僕と」
僕のこんな今更な質問に彼女は一瞬驚いた様子だったが、すぐに答えてくれた。
「薄っぺらだからよ。考えてる事が全部分かるもん、浮気だなんだといちいち疑わなくて済むのはとても気が楽なの。家の外で散々気を遣って、家の中でも神経使って。そんなんじゃくたびれちゃうわ」
何が起きても動じない彼女。僕も彼女くらい懐の深い男になりたいな。そんな言葉は絶対に言わないけども、そう心に強く感じた。
「さて! 今日くらいお出かけに付き合ってよ? 帽子かぶれば何とかなるでしょ!」
早口で捲し立てる。この反応は、僕にだって分かる。これは思ったより自分の言葉が恥ずかしくて照れてる時のしゃべり方だ。
彼女の本心からの告白にクラクラ来るほどの喜びを覚えつつ、彼女の隣りにちゃんと立てるように、もっともっと成長したい!と心から思うのだった。
……明日の朝には分厚くなってしまっていたらどうしよう。ふと不安が過ぎるけど、きっと彼女は笑ってくれる。だったら、それでも良いな。そんな下らない事を考えながら、彼女と出掛ける準備をする。
「ほら! 行くよー!」
「はいはい」
慌てる事はない。隣を歩く彼女と同じ歩調で、僕は成長していけば良いんだ。それはなんて、幸せな事だろうか。
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