宇宙貨物船アクエリアスからの脱出!
この船は誰の目にももう駄目だと分かる状況だった。
けたたましく鳴り響く警告音。船内を赤く染め上げる非常灯。時折訪れる大きな揺れ。この宇宙貨物船アクエリアスはもうじき爆発して、その内側にある物全てを冷たい宇宙へとぶちまける寸前なのであった。
「問題は、だ」
白髪が混ざり始めた頭を掻きながら、私が沈黙(というには騒々しい限りだが)を破る。
そんな重苦しい空気の中であっても、誰かが話し出さなければ事は進まない。そしてそれは船長たる私以外が担うべき役割ではなかった。
「残り二つしかない脱出艇に、誰と誰が乗るのかと言う事だ」
この宇宙貨物船アクエリアスを襲った巨大隕石という災害は、乗組員三人が乗るはずだった一人乗り脱出艇の内の一つを巻き込みながら船の基幹部分を破壊していったのだ。
この船の生命維持装置もその影響で明らかに機能を低下させており、決断までの時間の無さを物語っていた。
いや、正直に言えば答えはもう出ている。船長たる私が、船員二人を差し置いて逃げ出すなんて真似ができるはずもない。今私が取り組むべきは、脱出した後に彼らが「自分が助かりたいが為に船長を置き去りにした」などという負い目を抱えずに済むように、二人の心の負担を取り除いてやりつつ逃がしてやる事なのだ。
「船長! ここは船長たる貴方が脱出すべきと思います!」
そう言うのはこの船の乗組員の一人であり通信担当のアルト。若く軽い態度が目立つが、仕事はきっちりとこなしてくれる点、私は信頼している。「そうとも。アルトの言う通りだ。そしてもう一隻にはお前が乗るんだ」
もう一人の船員、メカニック担当のモンディが静かに呟く。口数が少なく愛想はないが、その心根はマジメで、決して悪い奴ではない事を私は知っている。
この二人は私の息子程の年の差であり、あれこれ悪態を吐きつつも可愛がってきた二人だ。私はこの危機的状況にあっても私の脱出を勧めてくれる二人に感激し思わず涙腺が緩みかけるが、そこをグッと堪えて言葉を続ける。
「馬鹿者。船長の私が真っ先に逃げる理屈があるか。君たち二人が乗るんだ。さあ、早く脱出したまえ!」
言って指差すが二人は動かない。
「いえいえ、船長こそが」
「いやいや、君が」
「早く二人とも乗ってしまえよ。俺が残る」
などと奇妙な譲り合いがしばらく続く。
普段であれば二人の忠義心に感動するところであるがさすがにこの状況、このまま押し問答を繰り返していては折角助かる命も助からなくなってしまう。
その内再び船体が爆発音と共に揺れ、現状の厳しさが改めて認識させられる。早くこの二人を脱出させなければ!それが私の、船長の最期の役割だ!
「アルト! モンディ! いい加減早く乗るんだ! この船にはもう時間がないんだ!」
心を鬼にしてギッと睨みつけながら怒鳴る。これも二人を助ける為だ、仕方あるまい!
しかし二人の反応は予想を超えたものであった。
「「いやです!」」
凄まじい剣幕で怒鳴り返された。それもハモって。何故!?
「船長! そう思われるなら船長が早く脱出すればいい!」
「そうだ、残るなら俺が残る! さっさと脱出してしまえ! 大体隕石なんて見落としてこの船を傷つけるなんてバカじゃないのか!?」
再び揉めだしてしまう。
一体何故こうなってしまうのか。私は頭を抱えた。
その内これが忠義心や友情、素晴らしい人間性などに基づいた物ではない事に薄々気付き始め、怒るよりも呆れた。
「分かった! 分かったから一回黙れ! ……二人とも、一体何故そんなに意地になって残ろうとするんだ?」
私の問いに、二人は黙る。何百時間と同じ船の中で過ごした仲ではあるが、どうやら何かしら秘密があるらしい。あれほど楽しく笑いあっていたのに……
少しだけショックを受けつつも彼らの答えを待っていると、モンディの方が先に呟き始めた。
「俺は……この船でずっと生きてきた。この船で俺の知らないところはない。ずっとメンテして、可愛がってきたんだ。壊れてしまうからって、はいそうですかと簡単に離れられるか」
ハッと気付かされる。モンディは気むずかしい奴だ。こちらが笑いかけても表情を見せる奴ではない。思えば彼が笑うのは、機械、特にこの船に関する事だけだった。
それだけ深く愛していたのだ。この船を。
「モンディ……」
掛けるべき言葉を探していると、気楽な様子でアルトが声を掛ける。
「船なんて代わりがいるさ。生き残って、早く次の子を見つけるんだな!」
アルトの無神経な言葉にモンディはギッと睨みつける!
「ふざけるな! 俺はお前みたいが次々と女を変えるみたいにはできない! 彼女だけなんだ!」
モンディの叫びに、今度はアルトがムッとする。
「そうじゃないだろ、お前は女の子と上手く話せない事を僻んでるだけだ。そりゃ八つ当たりってもんだぜ」
アルトの指摘に総毛立って怒りを示したが、モンディはグッと堪え静かに語る。
「……あぁ、その通りだ。俺は女の子と上手く話せない。だからこうして彼女、アクエリアスと向き合い、そして救われてきた。
だから、彼女が死んだら俺は生きていけない。彼女が死ぬのなら、俺は彼女と共に死にたいんだ」
沈黙。誰も何も話せず、ただ警告音だけが響く。
「だから二人は生き残ってくれ。さあ早く脱出艇に乗るんだ!」
「モンディ!」
私は彼の胸に拳を突き出す。モンディは想定外の行動に拳を胸で受ける。
混乱している彼に向けて、拳をゆっくり解き掌を広げる。そこには小さなメモリーキューブが握られている。
「これは?」
「この船の全航行記録だ。万一に備えていつもバックアップを取っている」「……これをどうしろと? 俺は動きませんよ」
「なあ、モンディ。“彼女”とは一体何だろうな」
私の問いかけに、二人は首を傾げる。
「この船全体か? それともエンジンか? 宇宙空間を移動出来る機能か?」
「何を……」
「私はな、記録だと思うんだよ。
船はいつか老朽化し、あるいは壊れたパーツは取り替えなければならない。取り替えて取り替えて、それは果たして元の“彼女”と同じだろうか?」「……」
「正直、私にも分からない。遙か大昔からの哲学的な問いだ。“テセウスの船”と言う。
だが私は今、はっきりとした答えを持つ。これ・・がそれだ。
この全航行記録こそ、“彼女”の生きた証であり、“彼女”そのものじゃないか?」
ハッとするモンディ。その瞳には戸惑い、悩みが見え隠れしていたが、やがて私の掌にあるメモリーキューブを握りしめる。強い意志と共に。
「いい顔だ。生き残って彼女の存在を、命を続けてくれ」
モンディは無言で一つ頷いた。
「さあ、アルト。お前も脱出艇に乗るんだ」
「俺は……」
いつもの軽妙さはどこへやら、煩悶し、しかし動く気はない様子だ。
「お前も何か残りたい理由があるのか?」
「それは……」
アルトが言い淀んだ瞬間、警告音に紛れて大声がした。
私ではない。アルトでもない。勿論モンディの物でも、ない。
いや、そもそもそれは声なのか。人間が発する物とは思えない絶叫であった。
「何だ、今のは!?」
「分かりません! 隕石に乗じて何かが侵入してきたとか……?」
おかしい。そんな事は有り得ない・・・・・。
と、アルトを見やると真っ青な顔で震えているではないか!
「おい、アルト……? 何か知っているのか?」
「!」
声を掛けた瞬間、まるで弓から解き放たれた矢のように通路を駆け抜けていく!あちらは貨物の方か!?
「おい!?」
「モンディ! お前は先に脱出艇に乗って行け! もうこの船に時間はない!」
アルトを追いかけ走り出す寸前のモンディの肩を掴んで止める。モンディは戸惑っていたが、生き残るべき理由を思い出し、反対方向の脱出艇へと走り出す。
これでモンディは心配ない。しかしあの尋常ならざる様子のアルトが心配だ。
イヤな胸騒ぎを抱えたまま、私はアルトを追いかけた。
辿り着いたのは貨物船の一室。そこだけ扉が開いていた。
ぜえぜえと息を切らしながらその部屋を覗き、唖然とした。
「アルト……なんだ、それは……?」
そこにいたのはアルトと……何と形容したものか、紫色の巨大な芋虫がいた。身の丈は2m以上、目はなく、巨大な口からは牙が幾つも見え隠れし、ブヨブヨとした肌からは汚らしい毛が所々に生えている。こんな異様な生き物見た事がない!何故この船に乗っているんだ!?
アルトはバッと両手を広げて私に向かって立ちはだかる。まるで、その芋虫を守るように。
「これは……今の俺の、全てです」
真剣な瞳。これ程真剣な顔、長い付き合いの中で一度だって見た事がない。彼は疑いようもなく正気であった。
「……どういう事か、説明してくれるか?」
時間はない。だが、彼の双眸からはちょっとやそっとでは動かないと言う意志がはっきりと見えた。
しばらく睨み合いが続いたが、遂にアルトが折れ、ゆっくりと話し出す。「この子はデイジィ。以前行った星で拾ったんです。まだこの子が小さかった頃に。
今まで女の子ばかり追いかけてた俺だったけど、この子を育てたい!って強く思って。どんどんと大きくなっていくけど、それでも手放せなかったんです!
今更この子を見殺しになんて出来ない!」
……物事の美醜など人によるものである事は理解しているつもりだが、一体どの辺がアルトの心の琴線に触れたのか……いや、問題点はそこではない。
モンディの場合と違い、生きた存在だ。代わりなど存在しない。
「大体こんな巨大な生き物、どうやって積んだんだ!? お前だって『冷たい方程式』くらいは知ってるだろう?」
『冷たい方程式』。宇宙空間においてはこの現代であっても酸素の一滴、食糧の一欠片だって余分には積めない。積んだ分だけ重量が増え、エネルギーが乗数倍に必要になるからだ。万一密航者などいれば、それはその場で処刑せねばならない。
人どころかこんな巨大生物、積んだだけで重量オーバーだ。この船に余計なエネルギーは積んでなかったはず……
「……同じ重量分の貨物を降ろして、ここにこっそり搬入しました。この子、食糧とかはほとんどいらないみたいで……」
衝撃的な告白である。いや、ツッコミ所が多すぎて最早言葉が出なかった。
「貨物船を切り離してでも俺はこの子とここに残る! 船長は脱出艇で脱出を!」
「駄目だ。私にはお前を守る義務がある」
「船長!」
かつて無い程の真剣な眼差し。……業務中にその目が見たかったよ、アルト。
などと揉めていると、デイジィが奇声を上げた!
「キェエェェエェェ!!」
驚いて振り返ると、まさに今、口から一抱えはありそうな卵を産んでいたのだ!
「なっ!? デイジィ! そんな!」
「何だ、どうしたんだ!?」
「……かつて聞いた事があります。デイジィの仲間は出産と共に絶命してしまうのだと……!」
「何!? じゃあこいつは……」
大量の涎と共に、吐き出される卵。粘着質な涎に包まれたそれを、愛おしそうに抱きしめるアルト。うぇぇ……
「デイジィ……」
大量の涎を吐き出し、最期の一息を吐く。それを合図に、巨大な体はみるみる萎んでいく。彼女は絶命した。
「……うぅ……」
嗚咽を漏らしながら蹲るアルト。何とも声が掛けにくい状況である。
だが最早時間は残されていない。このままここに残って二人とも死ぬ訳には行かない。
「アルト。キミが今、すべき事は何だ?」
「……?」
涙と涎でぐちゃぐちゃの顔でこちらを見遣る。その表情は、私の意図を察知していないようだった。
「彼女の遺志を継ぐべきなんじゃないか? 彼女はきっと、お前に生き残って欲しいからこそ、今ここで卵を残し、お前に託した。
ヤケになるな。生きろ」
アルトの表情から、次第に意志が芽生える。
「船長、俺、絶対生き残ります。生きてこのデイジィの遺志を必ず……!」
ガッシと握手をする。
果たしてこの謎の宇宙生物の繁殖に荷担して良いのだろうか。生涯一度の出産が卵一個、と言う事は、この中には一つの命である訳がない。二つ、三つ、いやいや何百、何千……あのおぞましい生き物がアルトの愛を受けて一斉に……いや、考えるのはよそう。私には関係のない話・・・・・・だ。
「さあ、脱出艇で早く!」
「はい、船長! ……しかし船長は?」
アルトの疑問に、ふ、と笑って応えてみせる。
「お前は私の分まで生きるんだ。さあ行け! 走れ!」
言葉の意味を一瞬で理解したアルトは、クシャッと顔を潰し、踵を返して走り出した。行く先は脱出艇。一度も振り返らなかった。
「ようやく行ったか……」
相も変わらず警告音が鳴り響く。空気も薄くなってきたのか息苦しい。
私は一人、座り慣れた操縦席へ向かう。
「やれやれ、こんなにも生き残らせる事が大変だとはなぁ」
操縦席に座り、普段は開けない引き出しを開ける。中から古びた写真を取りだし、机の上に置いて眺める。
写真には若かりし頃の私と、今は亡き笑顔の息子。
「お前は本当に、大した奴だったな。私の息子とは思えんくらいだ」
息子は死んだ。あの日、私を助ける為に。
巨大隕石に衝突、船の機能が著しく低下し、しかも脱出出来るのはどちらか一人。
メカニックだった息子は事故と同時に現場へ駆けだした。そして手遅れと知り、自らの手で隔壁を封鎖、自分の退路を断った。最期の通信は忘れない。笑顔で、「生きろ」と言ったんだ。
その言葉が、私の生きる意味となり、呪いとなった。
息子を失った悲しみで気力を失い、しかし生きねば息子は何の為に死んだのか分からなくなる。
生きる為には働かなくては。身を粉にして働いた。息子が残した命は無駄じゃなかったと証明し続ける為に。
しかしそれももう疲れた。どんなに意地を張っても、この人生にゴールはないんだ。
死のうと思った時にふと気になった。息子は最期、笑顔であった。あの時の気持ちは一体どんなものだったのか?
一度気になり出すと、そればかりが頭を占める。
そうだ、同じ体験をして、息子と同じ行動をして、それを理解しよう。
そう決意した私は、自らの乗る宇宙船に爆弾を仕掛けた。脱出艇に一つ、生命維持装置に幾つか、時間差で爆発するように。そしてまだ爆発してはいないが機関部に一つ。
端から見たら、狂気の沙汰に見えるのかも知れない。しかし自分で自分を殺そうとする人間が正気である事があるだろうか。
……まあ私の自殺に巻き込まれかけたあの二人には申し訳ない事をしたが。
この宙域。何度通っても苦い思い出が蘇る。息子が死んだ宙域だ。
ハプニングもあったが、無事目標を達成し二人は脱出出来た。生きる目標を抱えたままの彼らの心に、私の時のような後悔はあるまい。
これで何も残さず消えられる。手元のスイッチを押せば、この船は爆発し、何もかもが終わる。
心にあるのは、不思議な爽やかさ。ようやく私は、この呪いから抜け出せるんだ。
けたたましく鳴り響く警告音。船内を赤く染め上げる非常灯。時折訪れる大きな揺れ。そんな騒がしい状況の中、私はとても穏やかな気持ちで終わりのスイッチを押した。
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