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クオリアの話

脳科学とか哲学の分野には「クオリア」っていう概念がある。

感覚的・主観的な経験にもとづく独特の質感。「秋空の青くすがすがしい感じ」「フルートの音色のような高く澄んだ感じ」など。感覚質。

 引用:デジタル大辞泉

感覚質…俺が一番しっくりくる言い方で言うところの実感てとこかな。

雲一つない晴天を見たときの心のモヤモヤが一時的に晴れる感覚もそうだし、雨が降る前に香るコンクリートのムッとした匂いもそうだと言える。

赤ちゃんのほっぺたを触った時に感じる柔らかさと愛しさが押し寄せてくる感覚もそうだし、夏休みの宿題を最終日の夜に着手し始める時の、世界の終わりを感じる感覚もクオリアと言えると思う。

今回言いたいのは、このクオリアってめちゃくちゃ大事じゃねって?話。

感動を感じないのはクオリアの蓄積がないからじゃない?

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。

 向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落した。雪の冷気が流れこんだ。

川端康成:「雪国」

川端康成の代表作といって過言じゃない小説「雪国」。
内容が知らなくても、この冒頭を読んだ、聞いたことある人は多いと思う。
北海道の田舎出身の俺は、踏みしめられていないどこまでも平面な雪原が浮かんだし、空気が澄んでいて、俺の他に生命がいないかのような静けさをこの文章から連想した。
寒さで縮まり、耳が遠くなる感覚。世界には主人公と汽車の駆動している音しか聞こえない様が思い浮かぶ。
冷える時期に窓を開けた時の肌を突き刺す空気の流れがひしひしと伝わる。

俺は冬とか雪に関するクオリアを獲得しているからこの文章の美しさを享受できる。

でも雪を実際に感じたことのない人が俺と同じ類の趣をこの名文から感じ取ることができるのか?というと多分無理だ。
シンプルな文面な分、その状況を想像することはできても、うんざりするほどの雪の冷たさも、果てしない真っ白なキャンバスかのような雪原の美しさも実際に体験しないと、本当の意味で感動を感じることはないと思う。

俺はピカソの絵の良さがわかんないから
それが一番スゴイとされる美術のことは理解できない
よくわかんない
俺でも描けそうじゃない?

山口つばさ:ブルーピリオド/講談社

控えめにいって大好きなスポコン美術漫画「ブルーピリオド」1巻1ページ目のモノローグ

これは俺を含めて本気で絵を描いたことないほとんどの人が思ったことだと思う。

20世紀最大の画家と言われるピカソが描いた傑作「ゲルニカ」

スペイン内戦の悲惨さを現した傑作だと言われているけれど、子供の絵と言われても納得できる画風。

でもピカソは幼少の頃から絵の英才教育を受けて、写実的な絵は描くことができた。そんなピカソが写実性を捨てて、鑑賞者の頭の中で作品を再構成させるキュビズムを生み出したっていう経緯を知れば、そこになにか葛藤があったことはわかる。

そして美術を学び、実際に本気で取り組んだことがある人なら15万点もの作品を生み出し、この世になかったキュビズムという表現方法を生み出す一端となったピカソの偉大さが分かるのだと思う。

ピカソに最上の尊敬を注ぐ人にあって、俺にないもの。それは美術、ないし表現に対するクオリア

俺は臆病だから自分の感性を表現するってことは怖くてしかたなくて、絵を描くことはできないし、人前で100パーセントで歌うこともできない。コンテンポラリーダンスに興味はあってもなぜか恥ずかしくて、踊ることができない。
表現というものに対して、その背景を知ることはできて、何か引っかかりを感じることができても真に感動することができない。クオリアが得られていないから。。。

前の記事で言葉に対する不信感がある。
言葉は万能じゃない
言葉、言語じゃ自分の感じていることの3割も伝えることができていない気がするって書いたけど、その原因にこのクオリアっていう概念も多大に関与している気がする。
人にはそれぞれ獲得しているクオリアがあってそれがその人の価値観を作る。

獲得した多くのクオリアが作用しあって感動を生み出しているのだとしたら、相手が持っていないクオリアを前提として、自分の感じた感動を伝えることは無謀な気がする。

だからこそ自分の感動を誰かと真に分かち合えた時が、本当に人とコミュニケーションをとれたといえる瞬間なのかもしれない。
ブルーピリオドで高校の美術の時間に描いた、決して写実的ではないし、技術的にも優れているわけでもない真っ青な早朝の渋谷の絵を悪友に気づいてもらえて、涙ぐんだ主人公の八虎のように。

人と真に分かり合うためにクオリアをたくさん獲得していきたい。

っていう結論。
安直に言うといろんな経験しなさいよ、くろちゃんってことよね。

蛇足
最近恋愛の話が出たときに、「くろちゃんは恋愛話になると心にガードに張るというか、全身に西洋の鎧を着ている」といわれてしまったのも、恋愛をすることで得られるポジティブなクオリアを得られておらず、する気が起きないからです。
上川のあっちゃんと名寄のザマケンさんに教えてもらった「ラブ トランジット」でも見てみるかな。(見ない)





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