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【雑記_3】世界でいちばん嫌いな痛み

昨年末のこと。

奥歯が頬に引っかかって口を開けたとき痛みを感じるようになったので、世界でいちばん嫌いな歯医者に渋々行ってきた。
おそらく、ついに私の親知らずが頭角を表してきたのだろうと予想。舌を奥までぐいっと引っ張れば、うん、なんだかそこにヤツがいるような気がする。

会社帰りでも間に合う18時に予約をし、向かう地下鉄の中で「親知らず 抜く」「親知らず 痛い」でひたすら検索をしている顔は、さぞかし滑稽だったことだろう。
しかしそこまで怖気付くのも無理はない。私はこの数年で親知らずを抜いた友人たちからの"レビュー1、リピ無し"な最低口コミを聞いてきたのだ。

「想像を絶する痛み」「熱が出て仕事を休むほどだった」「しばらく頰が腫れて何も食べれなかった」


ああ、聞いてるだけで恐ろしい!

震えながら診察室に入ると、幼稚園からお世話になっている顔馴染みの先生が「久しぶり〜」と出迎えてくれた。
「はは、お久しぶりです…」私の笑顔は引き攣っている。


「口を開けるときに歯が頬に引っかかって痛いんです。親知らずかな?って思うんですけど…」
「ちょっと見てみるね」

症状を話し、顎が外れそうなくらい大きく口をあけた。

さあどうだ。奥歯をのぞいている先生が「んー」と小さく唸り声を出した。やはり親知らずか、親知らずなのか。私は諦めた心持ちでゆっくりと瞼をとじる。抜くとしたら手術はいつがいいだろう。時間がかかるだろうから会社を休んで、次の日は在宅勤務にしてもらおうか。そういえば友人は腫れるとは言ってたけどどれくらい腫れるんだろう。前にYouTuberで親知らず抜いた後に動画出してた人いたけど、あれは顔の形変わるくらい腫れてて痛そうだったな。あのレベルなら翌日だけとは言わず翌々日、翌翌々日までは在宅にした方がいいかもしれない。

「これね」

いよいよ診断結果が発表される。 
もう覚悟はできました。いっそのこと一思いに発表してください!ぱちりと目を開くと、先生と目が合った。

「親知らずの一歩手前の歯だね〜」

「はにゃ?」





かくして壮大な勘違いは幕を閉じたわけだが、
古い詰め物は取り替えた方がいいと言われたので、いまも週に1回ペースでこうして通っている。


まあ親知らずを抜くよりぜんぜん怖くない、と楽観視していた私であるが、大きな間違いだったことに気づく。

「ンー‼︎ンーーーーッ‼︎‼︎」

なんて名前の拷問を受けていたんだっけ?と思うのは仕方ない。痛かったら教えてね、と言われたので必死に訴えかけてみても「がんばれ!もうちょっと!」と励まされて終わったのだ。痛かったから教えたのに、止めてくれないことってあるんだ……。拷問される側ってこんな気持ちなんだね……。


涙ぐむ視界の中でふと気づいたことがある。


まだ痛みに耐性のない子供のころ、私は同じ程度の痛みを耐えていたという事実だ。

大人になっても体は震え、おろしている拳には力が強く入り、涙し、大声を出してやめてもらえるよう訴えかけている、それほどの痛みを、あの頃の自分は耐えていたのだ。なんてえらい。過去に戻れたら勲章を渡したい。


思えば、大人になってから物理的な痛みって感じてこなかったかもしれない。

思い浮かぶのはどれも精神的な痛みばかり。
人間関係、仕事、恋愛。

しかもこれらの厄介な点は、すんなり解決することがほぼほぼないというところだ。ゆっくり時間をかけてようやく軽くなることもあれば、どれだけ手を尽くしても自分のできる範囲では解決できないこともある。いちばん手っ取り早いのはその環境から離れて暮らすことだけど、それが叶わない人も沢山いるだろう。

このように、精神的な痛みは立ち直るのに時間と労力を要するが、物理的な痛みは概ね一瞬で終わるのがいいところかもしれない。
つまり私も診療が終わることにはケロッとしていた。


そういえば、わたしの最近の心の痛みってなんだったかな。

お正月におばあちゃん家いったときに「大丈夫、結婚は誰でもできるからね」って謎に励まされたこと?

はたまた大晦日も正月も仕事せざるを得ない状況だったのに、上司には素知らぬ顔をされたこと?

すぐにはどうにかできないけど、何が自分の心をすり減らしてるかは常に言語化できていた方がいいかも。
前の記事でも書いたけど、自分の痛みに鈍感にならないようにしよう。
それでいて、余裕があれば人の痛みに敏感でいられる人になりたいと思う。

さあ、歯も綺麗になったことだし、
今日はとびきり美味しいものでも食べにいくのだ。


m.

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