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【心得帖SS】ココロの「原動力」

「月イチ投稿【トクの庵(いおり)】今回はここまでとなります。また来月お会いいたしましょう」
総務部の星田敬子が締めの挨拶を行った瞬間、ブースに入っている3人の空気が弛緩する。

「いやー、なかなか慣れないものだな」
右肩をぐりぐり回しながら、生産部の徳庵義雄が感想を述べる。
「そんなこと無いですよ。結構サマになってきてますって」
徳庵の正面に座った営業二課の京田辺一登が彼を持ち上げる。
「そうですよ。私なんていまだに何故アシスタントやらされているのか分からないのですから」
どさくさに紛れて巻き込んだ京田辺への恨み言を述べる敬子。
「まあまあ、ブースのレンタル時間も迫っているので続きは場所を変えましょうか」
テキパキと片付けながら、京田辺は2人にブースからの退出を促した。


京田辺と徳庵、巻き込まれた敬子の3人で始めた社内向けのミニ動画コンテンツ【トクの庵】は、某組織?からの妨害工作も乗り越えて順調に毎月投稿を続けていた。
特に徳庵が自らの体験を交えて知識やスキルを惜しげもなく提供する姿に感銘を受けたベテラン社員達がゲスト出演を希望したりなど、京田辺の予想を上回る反響を得ていた。

ちなみに人事部長の天満宮浩市が提唱していた【教育部】の新設は、担当役員の合意が得られずお蔵入り濃厚とのウワサだった。
尚、件の役員から第1回の投稿内容に関して大絶賛のメールを貰っていたことは内緒の話だ。


「では、乾杯!」
「乾杯!!」
3つのビールジョッキがカチンと合わさる。
「くーっ、仕事終わりのビールは格別だなぁ」
徳庵がやり切った感が滲み出た声を上げる。
「【トクさんが斬る!】のコーナー、時間の関係で紹介できたのは3通でしたがメールはもの凄く来ていましたよ」
徳庵が質問に答える人気コーナーの嬉しい苦労を述べる京田辺。徳庵ははてと首を傾げた。
「じいさんがあれこれ文句を言うだけなのに、何でそんなに来るんだ?」
「きっと、みんな人生の大先輩に叱って欲しいのですよ」
2杯目のジョッキに移った京田辺が、しみじみと言葉を返した。
「それを言ったら、京田辺課長の捌きも凄いですよ」
濃ハイボールに切り替えた敬子が、話を引き取る。
「しかもちょこちょこイイ言葉挟むじゃないですか。久し振りに【京田辺教授ファンクラブ】のチャットグループがフル稼働してますよ」
「やめて恥ずかしい」
大袈裟に顔を覆って身を捩る京田辺。
その様子をじっと見ていた徳庵は、炙りエイヒレを齧りながらポツリと言った。


「やっぱり何だ、根っことしては【皆んなで楽しく仕事がしたい】よなぁ」

「ええ、そうですね」
部内で一時期微妙な空気になった経験のある敬子がうんうんと頷いている。
「一登クンはどうだ?」
瞳の奥をギラリと鋭く輝かせて、徳庵は京田辺に問い掛ける。
「メンバーは楽しく仕事ができているか?心から笑っているように見えるか?」

「さあ…どうでしょうか」
ひとりひとりの顔を思い浮かべていた京田辺は、何とも言えない顔をしてそう言った。
「…フン」
彼の表情からおおよそを察した徳庵は、ガリガリ頭を掻きながら口を開いた。
「あのなあ一登クン。リーダーがそんな感じだと部下にも伝染していっちまうぞ」
「返す言葉もございません」
「イイ加減腹ァ決めろ。【ハートは熱く、頭はクールに!】なんだろ?」
「…有難うございます。そこはもう決めていますのでご安心ください」
「え?」
少し空気が変わったような気がした敬子は、慌てて京田辺の方に向き直ったが、そこには普段通りの彼が美味しそうにビールを飲んでいるだけだった」

(気のせい、かな)
「星田さん、次はどうする?」
「あ、では同じものを」
「嬢ちゃんもなかなか強いねぇ。ワシの相方は全くの下戸なんだよなぁ」


そこから3人は普段通りの会話に戻って行ったので、敬子は彼の言葉の意味を【当日】まで思い出すことが出来なかった。

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