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【心得帖SS】「勝負手」を決めていますか?

「紗季さん、今日は宜しくお願いします」
助手席に乗り込んできた四条畷紗季に、ハンドルを握った大住有希はペコリと頭を下げた。
「いえいえこちらこそ。困ったときはお互い様だからね」
カップホルダーに愛用のタンブラーを置いた紗季は、トートバッグから書類を取り出した。
「商談は11時からだったよね。試食用の資材とかは足りてるのかな?」
「はい、大丈夫です」
「それでは本日の四条畷はスーパーアシスタントを目指して頑張りますね」
「期待してます、紗季さん」


本来有希の商談に同行する予定だった営業一課の寝屋川慎司課長が、体調不良のため急遽不参加となってしまった。
同じ課のメンバーも他に予定が詰まっていたため、寝屋川から営業二課の京田辺一登課長を経由して、スケジュールに余裕のあった紗季に応援依頼が来たのだ。


「…有希ちゃん、何か悩みごとある?」
運転中の有希の横顔を見ながら、紗季は何となく気になっていたことを口にしてみた。
「なっ、悩みですか?と、特には無いかと思われますがが」
「わっかりやすう」
あたふたした有希の反応に、紗季はぷっと吹き出して笑った。
「むう、紗季さん意地悪です」
少しむくれる有希の頭をポンポン撫でて、紗季は言葉を続けた。
「それはまたの機会に聞かせて貰うとして、今日は商談に集中しなきゃね」
「そうでした。新規採用が決まるかどうかの大事な商談なのです…」
自分に言い聞かせるように、有希は言った。


「(結構長い会社名)の大住さん。ワタシ忙しいので手短かにヨロシク」
三角形の細い眼鏡を掛けたハイミス女史が、先月末に着任した新しいバイヤーとのことで、有希に続いて紗季も名刺交換をしてから商談ブースの椅子に座った。
(名塩…美由紀さんか)
彼女は試食準備を進めながら、先ほどの名刺を確認する。
(肩書はシニアバイヤー…上級職ね)

「お忙しい中お時間をいただき有難うございます。早速ご提案内容に入らせていただきます」
流れるように資料を開いて名塩の前に置いた有希は、新商品のポイントを簡潔明瞭に説明していく。
全国の若手営業担当者が彼女のプレゼン手法を参考にしていると言われているだけあって、とても聞き心地の良い話運びである。
「…以上で説明を終わらせていただきます。ご検討いただけると幸いです」
有希の説明がひと段落着いたので、紗季は手にした試食カップと食器を差し出そうとしたが、名塩はそれを制して言った。
「お話は良く分かりました。御社の商品の素晴らしさは伝わりましたよ」
テーブルに置いていた手帳とペンケースを掴んだ彼女は、腕時計をチラリと見て言った。
「でも、ウチでは扱いません」


会議のためと言って早々に離席した名塩を見送った2人。
「うーん、やっぱり手強いなぁ」
思い切り採用を拒否されたにも関わらず、有希はあまりショックを受けていない様子だ。
「他のメーカーの人も同じような塩対応が続いているらしくて、さすがに試食はして貰えると思ったのですが…紗季さんにわざわざ応援いただいたのに、ホント申し訳ございません」
有希はペコリと頭を下げた。

(何だろう、話を聞いているときの表情と最後のバツ切りの差に若干違和感を感じるなぁ)
商談サポートの立場から冷静に様子を見ていた紗季は、有希もそのことには気付いているのではと思った。
「さっきの王道プレゼン、あれはわざと?」
「…紗季さんには敵わないなぁ」
たははと頭を掻いた有希は、話を続ける。
「商品の話はちゃんと聞いてくれるという噂だったので、どの程度興味を持って貰えるのか試してみました」
名塩は他メーカーから事前に聞いていたより真剣に説明を受けて、2・3質問も行っていた。
その状況で検討の余地も無くシャットダウンされてしまうと、色々と勘繰ってしまうのだ。

「紗季さんの【勝負手】は、お客さまの夢の実現と問題解決に応え続けることでしたよね?」
有希はふと、確認するように紗季に話かけた。
「そうね、所謂【ソリューション営業】かな」

ソリューション営業とは、お客さまとの対話を通してお客さまが抱えている問題やニーズを掴み、その問題の解決策(solution)を提供する提案型営業スタイルのことである。

「担当者として、私がまずやるべきことは…」
顎に手を当てて考え始めた有希は、バッグから便箋と筆ペンを取り出すと、何かをさらさらと書き始めた。
「有希ちゃん、もの凄く達筆なのね」
「祖母が書道教室を開いていたので、高校まで習っていました。一応有段者です」
感心している紗季に、彼女は少し照れながら応える。
「…よし、書けた。紗季さん、さっきの新商品サンプルを保冷バッグに移し替えて貰って良いですか?」
「了解」
100円ショップで調達した小振りな保冷バッグに商品サンプルを納めた有希は、先ほどの便箋を添えて受付に何やら言付けていた。


それから数日後…。
有希と紗季は、再び当該取引先の本部を訪れていた。
「…何故、分かったの?」
幾分くたびれた様子の名塩シニアバイヤーが、椅子の背もたれに背中を預けながら訪ねてきた。
「御社の売場は、毎日見ていますので」
幾分恐縮した口調で、有希が応える。
「先月から…明らかに【SKU】が減っていますよね」

SKUとは(Stock Keeping Unit)の略で、受発注・在庫管理を行うときの最小管理単位のこと。SKUの削減はコスト削減に寄与する一方で、品揃え上の魅力度が減少してしまうリスクも含有している。

「私は、ある程度の品揃えは必要だと考えているんだけれど、新しい役員が目先の収益改善に躍起になっていて、全売場一律20%削減という無茶な指示を出してしまってね」
ほとほと疲れた様子の名塩は、机に肘を付き頭を抱えた。
「店舗の売場担当者だったときは、在庫管理は大変だったけれど新しい商品を真っ先に並べることがとても楽しかったわ。それなりのポジションでバイイングを任せて貰うようになってからは、皆さんの新商品説明にワクワクしている一方で、頭の中はSKUの削減がチラついていて…」
声にハリも無くなった様子の名塩に、有希は明るく声を掛けた。

「名塩バイヤー、こちらをご覧ください」
クリップ留めにした書類を取り出して広げる。
「…これは?」
「御社A店の商圏分析から売れ筋予測商品を選定、カテゴライズしたものを棚割(小売店における商品陳列の配置決め)情報に落とし込みました」
とんでもない作業量をさらっと表現した彼女に、名塩は呆気に取られている。
「これから御社にPOSデータ(販売実績データ)をご提供いただければ、より最適な品揃え提案が可能となります」
「簡単に言うけれど、ウチの店舗数分かってるの?」
「はい、48店舗ですよね」
有希は傍に置いていた手提げバッグから、同様の書類を次々に取り出していった。
「ひと通りの準備は完了していますよ」

「ふ…ふふふっ!」
ここで、下を向いていた名塩から笑い声が聞こえてきた。
「気に入ったわ、大住さん」
書類の1つを手に取って頁を捲り始めた彼女は、不適な笑顔を浮かべて言った。
「そして有難う。これで、あの勘違い野郎を黙らせることが出来る」


結局、件の役員は急激な販売不振の責任を取って辞任。店舗はSKU削減前の品揃えに戻った。
更に、紗季の商圏分析提案の効果もあり、売場は再び賑わいを取り戻していった。

「紗季さん、私の【勝負手】が決まりました」
ハンドルを握った有希は、助手席の紗季に声を掛ける。

「【需要創造型営業】新たなニーズを創出できるような、痺れる提案を目指して頑張ります」

「うん、素敵な目標ね」
自信に満ち溢れた彼女の瞳を眺めながら、紗季は後輩の成長を心から喜んでいた。


(うーん、思いのほかイイ話になったので、例の悩みごとを聞きそびれていたわ。まあ、何となく想像はつくけれど…)

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