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【心得帖SS】「真の原因」探偵団

「取引停止…ですか?」
大住有希の背中を冷たい汗が流れた。
『ああ、突然で申し訳ないけれど、御社とは今月一杯で取引をやめさせて貰いたいんだ』
N社の窓口になっている部長は、電話口で非常に申し訳無さそうな声でお詫びを繰り返していた。
「詳細をお伺いしてからの判断とさせていただきたいので、お時間を貰えないでしょうか?…はい…はい、それでは明日の9時に…宜しくお願いいたします」

電話を切った有希は、一旦目を閉じてすうと深呼吸をした。頭の中で状況を整理して彼女の上司である寝屋川慎司のデスクに向かう。
「課長、少しお時間宜しいでしょうか?」
「あいよ、向こうに行こうか」
電話のやりとりを少し耳にしていた寝屋川は、打合せスペースを指差しながら言った。
「チョーさんも同席できる?」
「はい、分かりました」
営業一課のリーダー、長尾圭司は銀縁眼鏡をくいっと上げてノートPCを手に取った。

「なるほどなぁ」
有希から詳細を聞いた寝屋川は、ううむと唸った。
「聞いている限りはウチのミスは無さそうだが、相手さんがどう思っているかは別だからなぁ」
「まだ状況証拠が少ないですね」
カタカタとキーボードを叩いていた長尾は、有希に向き直った。
「N社との直近の取引額はどうなっている?」
「はい、ここ数ヶ月は前年売上高の7から8掛けとなっていました」
概況報告会議の内容を思い出しながら、彼女が答える。
「それは、何故?」
「主力商品の落ち込みもそうですが、今まで実績が発生していた商品の全てがストンと落ちているからです」
「ふむ、大住さんは担当者として、どうしてそうなったと思うの?」
寝屋川の問い掛けに、有希は少し考え込む。
「お店を確認していましたが…他社の新規参入は無いですね。売場の縮小も無いですし、閉店が続いたこともありません」

ここで、寝屋川と長尾が目を見合わせた。
「…大住」
代表して長尾が発言した。
「君が日頃から相手先としっかり向き合い、取り組んできたお陰だな」
「え?」


N社が民事再生法の適用を申請したのは、それから1週間後のことだった。
自動的に債権が保全されるため、売掛金の即時回収はほぼ不可能。
有希の会社は相手先部長の計らいで意図的に物量を落とされていたため、保険の適用範囲内で売掛債権が収まっていた。


それから数日後、某大衆食堂にて。
「自分の会社が危ないかもというときに、取引先への影響を最小限に止めようという動きは普通思いつかないよな」
割箸でトンカツをひと切れ掴んで、寝屋川は口に放り込みながら言った。
倒産前に大量の仕入を行う企業も存在するが、N社の担当部長は出来るだけ取引先の不良債権リスク低減を図る動きをしていた。
「信用調査会社の報告書では、自転車操業による資金ショートが主要因となっていますね」
背筋をぴんと伸ばして山菜そばを啜っている長尾の言葉に、有希は先日目を通した書類の一文を頭に浮かべる。
「…良い支援会社が付けば良いですね」
初めて不良債権処理を経験した彼女は、なんとも言えない気持ちでここ数日を過ごしていた。

「…営業は、発注を取るまでが仕事ではない」
ふた切れ目に箸をのばした寝屋川は、真面目な顔で言った。
「売掛金をキチンと回収するまでが営業の役割なんだよ。華やかな企画提案等に目が行きがちだけど、泥臭い活動も常に付いてくることを忘れないでくれたまえ」
「…はい」

「超大盛トンカツ定食を食べながらでなければ、上司からの有難いアドバイスの1シーンなのだが…」
銀縁眼鏡の鼻当て付近を押さえながら、長尾はため息を吐いた。
「だってチョーさん、大食いチャレンジ今日までなんだから仕方ないじゃん」
「全く理由になっていません」
寝屋川の反論を袈裟斬りにするドSリーダー。
「私は大丈夫です。課長の鼻から下に目を向けないようにしていますから」
「君も大概失礼だな大住くん」
有希の絶妙な返しに、長尾は思わず飲んでいた焙じ茶を吹き出しながら思い切り笑った。

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