【小説】「straight」112
『陸上部に復帰? 誰が?』
『お前だよ、お前』
訳の分からない悠生に、じれったそうな豊田が言った。
『もう疑惑は晴れたんだ、また陸上をやって何が悪い』
『しかし、それとこれとは……』
躊躇している悠生。
豊田はニヤリと笑って言った。
『知っているんだぜ、ここ数か月は毎日トレーニングして、既に現役時代のコンディションに戻っているらしいじゃないか』
『な、何でその事を』
『西野さん、って分かるか?』
いきなりの質問に、戸惑いながらも悠生は答える。
『うちの支店にいる、受付の人だろ』
『彼女の本当の名前は、大西弥生(おおにしやよい)だ』
『大、西?』
『しかも大西征五郎の娘、二代目稔流の実妹だとよ』
衝撃的な事実に、悠生は暫く思考が付いて行かなかった。
『驚くのも無理は無い、最初は俺もびっくりしたからな』
豊田が見た彼女の名刺。
そこには、【株式会社ビッグウエスト専務取締役 大西弥生】と書かれてあった。
『最近まで欧州に留学して、スポーツ技術を学んでいたらしい。今後はウチの運動部も担当するらしいぜ』
夜の公園で見た彼女の笑顔を、悠生は改めて思い出した。
『でも、何故そんな偉い人が地方支店の受付なんか……』
『お前を守る為さ、二代目の命令でね』
『はあ』
いささか不思議な気持ちで、悠生はその言葉を受け止めた。
(おそらく、まだまだ自分の知らない事情があるのだろう)
彼は一度、弥生とゆっくり話がしたいと思っていた。
『とにかく、彼女はお前をえらく買ってるんだよ。さあ早く復帰しろ』
『俺には、お前の方が彼女に入れ込んでいる気がするんだけどなあ』
『……うるせえよ』
図星を突かれた豊田は、ムスっとして背中を向けた。
『でも、有り難う』
背中に掛けられた意外な言葉に、豊田はくるりと振り返った。
『お、じゃあ戻ってくれるのか?』
『それは、しばらくは無理だな』
清々しい表情を見せて、悠生が言った。
『ここに、大切なものがあるから……』
その言葉を聞いた豊田は、きまりが悪そうにくしゃっと頭を掻いた。
『そんな顔をして言われちゃあ、引き下がるしかないなぁ』
『すまない』
頭を下げる悠生に、豊田はニカッと笑って応えた。
『いいさ、お前にタスキを繋ぐ日を、俺は気長に待ってるぜ』
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