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【小説】「straight」094

「くっ!」
 何度目かのスパートの気配に、諸積は身構えた。
 しかし、後ろから出てくるはずの柚香が来ない。

(もう、いいかげんにして!)
 彼女は、声にならない悲鳴をあげた。
 順位の上では、聖ハイロウズのトップは変わらない。
 しかし、実際の選手の消耗度は、二人の間で大きく違っていた。

(よし、最初のスパート分の体力は回復した)
 両拳をぐっと握りしめた柚香の瞳に、再び強烈な光が宿った。
(では、そろそろ行きますか)


(頑張れ、ユカ)
 第四中継所、ウインドブレーカーを脱いだ光璃は、まだ見えない柚香の姿を待っていた。

「あんたのトコは、まだ来ないわよ」
 彼女の身体をぐいっと押し退けて、聖ハイロウズのアンカーが前に立った。
「三区の大阪女が転倒したらしいじゃない。私達の独走は変わらないって」
「そんな事ないわよ」
 光璃の返答は、随分と落ち着いている。
「仮に、あんたのチームが追いついたとしても、この私には絶対勝てないわ」
 わざと挑戦的な態度を見せ、言葉を続ける。
「覚えておく事ね、私は9月のジュニア選手権3000メートル2位に入った引地……」
「そんな長い名前、覚えらんないよ」
 光璃は、彼女の話を途中で遮った。
「それに、どうせあなたの走りを見ることは無いのだから」

「早々と勝負を投げてくれて、光栄だわ」
 その発言をギブアップ宣言と受け取った引地は、薄笑いを浮かべて言った。
「違うわよ」
 しかし、光璃はゆっくりとかぶりを振る。
「柚香がトップで来て、私がそのままゴールテープを切るって事」
「はあ?」

(だって、約束したからね)
 呆気に取られた引地を気に留めることなく、彼女は再びコースに目を向けた。

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