vol.5 お酒の飲めない営業本部長によるキャリアの旅_大阪営業所

辛かった大阪営業所長

2006年5月のこと

サイボウズ初の本社以外の拠点である大阪営業所開設のため赴任することが決まりました。ようやくパートナー営業として独り立ち出来たと自分で感じはじめたぐらいの時期でしたので拠点設立と聞いてもまさか自分が行くことになると思いもしませんでした。

この大阪営業所で仕事をしたのは2008年に子会社のブリングアップ社へ出向するまでの約1年半になります。

結論からお伝えしますと、残念ながら満足な結果を残すことは出来ませんでした。私が出向したあとは大阪営業所はクローズとなり、サイボウズ総合研究所の大阪営業所に衣替えすることなります。役割もメンバーも総入れ替えとなりました。確かに結果を残すことが出来なかったという自覚はありますが、総入れ替えの衣替えは心に刺さるものがありました。ちなみにいまもこの時の棘はうっすら自身にささったままの状態です。

皆さんのご参考になればと思い失敗の要因を振り返りたい思います。

結局は圧倒的な力不足。それなりに自信を持って大阪へ赴任したわけですが、いま思い返してみると何が出来るというわけでもない1人の営業です。もちろん製品の提案は出来ますし、パートナーと会話することも出来ます。しかしながら役割はエリアに責任を持つ所長です。そこには戦略も必要になれば、必要に応じて本社の力を使う力こともあります。さらに開設当初から2人(のち3人)の部下を持つ立場になりますのでチームマネジメントもこなさなければなりません。こんなことは学んだこともなければ考えたことすらありません。

本社ではじめに担当したパートナーはそれなりに成果を出しました。しかしこれもパートナー側が案件を作る動きをしてくれて私はそのお手伝いをしたに過ぎなかったのです。また役員クラスは上司がカバーしてくれており、これを自分の力と見誤っていました。

このことに途中で気づくことには気づきました。そこでようやく担当する近畿圏の企業やパートナーの分析を始めます。これはそれなりに出来るようになってきました。残るは2つ、チームマネジメントと本社を使う。結局この2つはクリア出来ず、大阪営業所をクローズすることになったのです。

まずチームマネジメント。私の他に営業1名、アシスタント1名の3名でスタートです。後輩に対しては勝手に好きにやって。アシスタントに対してはろくに指示もせず、事務所に放置。チーム方針もなければ適切な役割分担もありません。回るわけがない。営業所を開設するとありがたい事にパートナー企業からお花が届きます。このお花の置き場所ひとつとっても聞かれるのです。「テキトーにそのあたりに置いておいて。」と無関心でいると、このようなことの積み重ねでアシスタントからそっぽを向かれます。終いには1名の営業からは退職の申し出が…。そんなこんなでチームは崩壊寸前・・いや崩壊状態です。

もうひとつが本社の力を使うという点については、当時の直属の上長とすこぶる相性が悪かった。いまであれば立ち振舞ようはあったように感じますが、私が取った行動で正面衝突です。ろくに報告もしない。上司からの信頼を得ることは出来ず(そもそも私も信頼していませんでしたが)、組織の力を使うことが出来なかったのです。誰もついてこない道を一人で走っていたようなものです。

言い訳が許されるならば、初めての拠点で誰も拠点側で働く気持ちや運営をわかる人がわかる人がいなかったこと。

そんなこんなで出向になるのですが、最後のトドメは溜まったストレスからその上司に「XXX」と暴言を吐いて、はい終了。頭を冷やしてこい!ということになり大阪営業所は幕を閉じます。みなさん最低限の言葉遣いには気をつけましょうね。もちろん楽しい出会いもありましたし、得たものは多かったはずですが、冒頭でお伝えした通り、今もこの時の惨敗感は拭いきれないままです。私が上司と相性が悪くあの時感じていた感情は同時に営業所のメンバーも私に対して感じていたことでしょう。唯一の救いは現在の大阪オフィスは採用が上手くいき、非常に優秀なメンバーが働いてくれていることですかね。

さあ、ということで次回はブリングアップという子会社へ出向していた時代の話です。

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