お酒の飲めない営業本部長によるキャリアの旅

証券会社からサイボウズ株式会社に転職してきたのは2003年8月のこと。

学生時代の就職活動で望み通り証券会社に就職出来たものの、時はITバブル崩壊真っ只中。株価は暴落中でしたが、これからの若い業界-IT業界に興味が湧いて転職を決意しました。

第二新卒という言葉が出はじめた頃で、転職支援会社が親身に相談に乗ってくれました。5社ほど面接した記憶があります。その中、ご縁があってサイボウズに入社することになりました。

面接そのものが面白かった。二次面接の山本さん(当時取締役営業本部長、現トヨクモ社代表取締役)に最終面接は取締役勢揃い(高須賀さん、青野さん、畑さん、山田さん)で愛媛県におけるみかん農家が県内GDPに占める割合は?という質問に面食らいましたが、なんとかそれらしい答えを話して突破することができました。全員が名刺入れをポケットに入れたら合格の合図だったと入社後聞きました。(いまはこのルールはありません!)

あれから17年。

自治体営業からスタートして、セミナー量産施策を経験した後に希望していたパートナー営業に異動。楽しくパートナーとGaroonの販売をしていたところ、関西弁が話せるという理由でサイボウズが初めて作る拠点、大阪営業所に所長として赴任することになりました。

営業所長として苦い体験をして、、当時子会社であったブリングアップ社に出向することになり、内部統制をはじめとしたリスクマネジメントのコンサルティングを生業としました。グループウェア営業からいきなり会計の世界へ。様々な出会いがあり、良い経験をさせてもらったと思います。

出向から戻り、大手営業と新規事業を1年ずつ。その後また本人びっくりのプロダクトマネージャーに就くことなります。サイボウズOfficeのクラウド化やkintone夜明け前にプロダクトマーケに関われたことはビジネスパーソンとしてひとつ大きな財産になりました。

3年半ほどプロダクトマーケに関わった後はようやく本職である(と自分で思っている。)パートナー営業に戻ることになります。グループ長あたりで戻るつもりでしたが、タイミングもありここではじめて部長職を経験することになります。その後は営業本部副本部長、執行役員営業本部長、兼グローバル事業本部副本部長として中華圏と東南アジア圏統括、そして2020年からは営業本部長 兼 事業戦略室長(現任)という役割に就いております。

まだまだ何かをやり遂げたわけでもなく、まだサイボウズでやりたいこと/やれること/すべきことがたくさんある中ではありますが、一度自らの体験を振り返ってみようと思います。

1978年大阪府堺市生まれ、富田林市育ち
2003年 サイボウズ入社 【25歳】
2005年 パートナー営業 【26歳】
2006年 大阪営業所長 【28歳】
2008年 ブリングアップ社に出向 【30歳】
2009年 大手営業 【31歳】
2010年 新規事業(かんたんSaaS) 【32歳】
2011年 プロダクトマネージャー 【33歳】
2014年 パートナー営業部長 【36歳】
2015年 営業本部副本部長 兼 パートナー営業部長 【37歳】
2016年 執行役員営業本部長 【38歳】
2019年 執行役員営業本部長 兼 グローバル事業本部副本部長 【41歳】
2020年 執行役員営業本部長 兼 事業戦略室長 【42歳】

当時を思い出しながら、振り返ります。
その時々の出会いから学んだことやいまに役立つ教えなどを散りばめていきます。サイボウズに入社して一番はじめの上司である方から頂いた(パートナー営業心得)はいまも宝物ですし、これを使って後進指導も行っています。こちらもご紹介の機会があるでしょう。

そして私は体質上お酒が全く飲めません。お酒が飲めなくて営業出来るのでしょうか?という質問をよく頂くので、どこかでお酒が飲めない営業本部長というネタも挟んで見たいと思います。

多少記憶が美化されていたり、大げさになっていたりすることがありますが、それはご愛嬌ということで...。それではお付き合いください。

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