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言語ゲームを意識してキャズムを超えていくということ。

「キャズム理論」そして「言語ゲーム」という言葉をご存知だろうか。前者はマーケティングにおける概念で後者はウィトゲンシュタインが唱えた哲学概念である。それぞれよく知られた言葉だとは思うが、今回はこの2概念を繋げてビジネスを捉えていく。


ウィトゲンシュタインの言語ゲーム

言語ゲームとは...言語活動を一定の規則に従った話し手と聞き手の間の相互行為と見る。(大辞林 第三版) 言語の意味はその使用だ。何かを指し示す(内なる思いや考えの客観的な表出である)のではなくて、ある共有されたルールに従って言語を伴った諸活動が起こるのだと考える。

これだけでは意味がわからないので例を幾つか紹介しておく。
ex.)
①顧客"満足"度の満足という言語について
満足という概念は各人にとって全く同じ状況であることを証明する方法がない。ただ、我々が生きる社会においてこういった状況をクリアすれば満足というのだ、という一定のルールに基づいて満足度は表現される。

ここで1つ大切な言語ゲームのルールとして、そのルールはたまたま成立している慣習的なものにすぎず、絶対のルールなど存在しないとされる。①の例で考えてみると例えば、アフガニスタンの若者が同じ満足という言葉を表現するときに表される状況は我々のそれとは異なるだろう。なぜなら、共有する言語ゲームが違うからだ。

②ロマンチック
ロマンチックとは、ロマンチックという意味を考えてそれに合致するタイミングで言語として使うのではなく、ある一定の状況に対してロマンチックという言語自体が随伴するのだ。具体例を交えて換言すると、お互い惹かれ合っている男女が夜2人きりで満月を見ていたとする。そっと手をつないで口づけを交わし、「ロマンチック」だね、と口ずさむ。これは、ロマンチックという内なる感情を言語で表現したのではなく、こういった状況下ではロマンチックという言語が随伴するのだという社会的なルールを共有しているに過ぎないということである。

もう1つ大切な考え方として「私的言語(private language)の不可能性」がある。言語というのはあるルールに基づいて行為に随伴する概念である以上、完全に主観的な「言葉」というのは社会的に言語としての性質を帯びない。というよりは存在し得ないといったほうが正しいか。例えば、僕が「ぱっぱっぴ」という言葉を作ってある意味を込めて使おうとしたところでそれは言語として機能しないのだ。

言語ゲームから考えるビジネス論

前段で述べたように我々にとってどんな言語ゲームを社会で共有しているかということは大切になってくる。
例えば、江戸時代の人にiPhoneを説明できるだろうか。共有する言語ゲームが違いすぎて困難を極めるに違いない。ここにビジネスにおける1つのtipsが眠っているのだ。

言語的接続・連続性を意識しないとプロダクト・サービスは普及しない

例えばビジネスという観点では失敗とされるセグウェイ。今までの移動手段と比較できるものもなく、共有する言語ゲームにおいてセグウェイに乗って移動する行為や随伴するセグウェイという言語が受け入れられることはなかった。良く言えば、もしかしたら新しすぎるのかもしれない。ただしやはり、不可能であるはずの私的言語を押し出したところで社会には流通しない。(私達がゲームを営めるものしか言語として流通しない。)

こういった言語的接続を強く意識していたのが、スティーブ・ジョブズだ。iPhoneを初めて発表したときのプレゼンテーションにおいてどのように説明したか振り返ってみよう。

(概要)
今日は3つのデバイスを紹介する。①iPodと②電話と③革新的なインターネット接続デバイスの3つである。という入りから始まり、これらを順繰りに説明しながら最終的には3つを繋げて、1つのデバイス「iPhone」である。と発表した。

彼は私達の言語ゲーム上で簡単に言葉のパス回しが出来るようなプレゼンテーションによって全く新しいiPhoneというデバイスを爆発的に普及させた。

ちなみに、iPadはiPhoneよりも先に開発されていたが、こういった観点からまず理解されやすいiPhoneから世に届け、言語ゲームをiPhoneが前提となったものに発展させた世界になって初めてiPadは発表された。私達の言語ゲームは少しずつ変容し続けている。

もう1つの成功例を紹介する。LINEである。ローンチのタイミングで森川亮社長(当時)は「これは無料でかけられる電話なんです!」と強調した。今はメッセンジャーとして圧倒的に普及しているが、当時の言語ゲームで馴染んでいるメールという概念の刷新としてのメッセンジャーは受け入れられにくかったであろう。

キャズム理論について

ここまでは、言語ゲームのビジネスへの転用に関して述べた。本章では言語ゲームという概念をビジネスの文脈において更に巨視的に捉えてみたい。具体的には「キャズム理論」というマーケティングにおけるをセオリーに関して触れていく。その上で再度、なぜiPhoneは普及してセグウェイが普及しなかったのかを考えてみよう。(セグウェイはそもそも使いにくいとか便利じゃないとかが理由で普及しなかったのかもしれないがこのnoteではその本質原因を探るといったことはしないので重箱の隅をつつくことはご遠慮願いますw)

キャズム(Chasm)とは...
「キャズム」は市場における「溝」のことを指し、具体的には「市場に製品・サービスを普及させる際に発生する、超えるべき障害」を表す。

キャズム理論の前提概念として、イノベーター理論というものがある。まずはこの理論を理解しよう。

イノベーター理論...
イノベーター理論とは、製品、サービスの市場への普及率を表したマーケティング理論で、市場におけるユーザー層は、製品の普及率に合わせて5つ(イノベーター、アーリーアダプターアーリーマジョリティ、レイトマジョリティ、ラガード)に分類される。

ここまで行ってようやく、キャズム理論について説明ができる。

キャズム理論...
キャズム理論とは、イノベーター理論におけるイノベーターとアーリーアダプターを初期市場、アーリーマジョリティーからラガードをメインストリーム市場とし、両者の間には「キャズム」があって、この溝を超えることが市場開拓において重要だとする理論である。
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初期市場からキャズムをまたいで存在する、メインストリーム市場にいかに受け入れられるかがビジネスにおける鍵になってくる。メインストリーム市場の顧客は「比較対象」が存在しないと購買に至りにくい。具体的に言うと、新しい製品が世に出てきた時、既に存在している製品と明確に比較した上で、その新しい製品がより良いものであると判断した場合にのみ購買に至るということだ。だからこそ、明確な比較対象が存在しなかったセグウェイはキャズムを超えられず、市場に広がることはなかったとされている。

まとめ

キャズムをいかに超えるのかということは様々なビジネスマン・経営者・学者の間で議論され続けているところではあるが、前々章で述べたように我々が現状どういった言語ゲームを共有しているかを認識し、新製品を市場に導入する上で言語的接続を意識することはキャズムを超えていくために1つ重要な指標となってくるだろう。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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