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豹変した私

 私の親に言わせると私は豹変したらしいです。ベーシストとなり、なんてことなく人前に立つようになり、最近では平気で歌っちゃったり。子供の頃の私をよく知っている母には信じられないほどの変貌を遂げたのか、母に会うたびに『くりは豹変した』とビックリされます。さあ、私はどんな子供だったのか、そしてどうやって変わっていったのでしょうか?

 私の子供の頃は自分でも記憶があるほどのシャイな子で、注目されると恥ずかしくってたまらず、涙がこみ上げてくるのを覚えています。シャイでも面白いことは大好きだったので、家族にウケ狙いで面白いことを言ってみたら『クリちゃんおもしろい!』ってみんなが笑ってくれたのですが、家族の前でも急に恥ずかしくなってテーブルに伏せて泣きそうになったものです。なんでだろう?家族も「えええ??どうして??」って感じだったでしょうね。

 感情は覚えているのですが、なぜそんな感情が湧き出てきたのかは今でも謎です。近所のおばちゃんにあっても母の陰に隠れるほどの筋金入りなシャイガールだったようです。小学校の時も先生に当てられると泣きそうになりました。姉弟にはいつもいじめられて泣いてばかり。いつもメソメソ。そんな泣き虫でシャイな娘がこんなになってしまったので母は信じられないようです。

 そんな私がなんで変われたのか。もしかしたら、子供の頃にたくさん引っ越したことが影響しているのかもしれないと思いました。生まれは東京ですが、1歳の時に静岡県に引っ越して小学校3年生まで真っ黒に日焼けして田んぼを駆け回っていました。でも中身は泣き虫シャイガール。

 それから父の転勤により、3年生の2学期から千葉県に引っ越しました。当時は転入生が多くて、新学期の全校集会では壇上に上がらされて紹介されたのを覚えています。めちゃくちゃ緊張したから嫌だったな。そして先生とクラスに行くのですが、ドアがガラッと開いた瞬間から三十何人の視線が一気にシャイな私に向くのです。もう最悪でした。それからか細い声で「静岡県からきました、津川久里子です。よろしくお願いします」と自己紹介して一つだけ飛び出たように置かれた一番後ろの机に座るのです。みんなの注目を浴びながら。それから何日かはみんなに追いつくのに必死でした。勉強も進み具合が多少違うし、校歌を歌う時とかわからないから口パクだし。でも友達には不思議と困ることなく、みんなに親切にしてもらい、困ることがなかったです。

 そしてその土地にも十分慣れてきた中1の夏。当時はソフトボール部に入ってピッチャー候補として2学期からどうなるかワクワクしていました。そしたらまた転勤。友達に悲しんで欲しくなかったし、いつも通りで最後まで生活したかったから終業式まで引っ越すことを内緒にしていました。帰りの会の時に「津川、前に来なさい」と先生に言われて、転校することをみんなに報告すると何人かの友達は涙を流してくれました。内緒にしておいてかわいそうなことをしたな。部活の仲間は引っ越すことを知っていてくれて、抱えきれないほどたくさんのプレゼントをくれたっけ。今でもいい思い出です。

 そしてそして、転校生の特権の夏休みの宿題は免除され、中一の2学期からは幼少期を過ごした静岡県に戻ってきました。また恒例の転入生紹介を終わらせ、席に着く。すると隣の男の子が何か話しかけてくれたではありませんか。でも何を言っているか、わからなくて聞き返してもわからなかったのです。幼少期に自分もペラペラ喋っていた静岡弁が数年の間にわからなくなってたのです。おもしろいですね。

 この引越しを機に私は変わって気がします。なにせみんなが『都会の方から来た転入生・クリちゃん!』とチヤホヤしてくれたからです。私が住んでいたところはかなりの田舎なんだけど。。。ちょっと水を飲みに廊下を歩くと他のクラスのあまり知らない子から「くりちゃ〜ん」と手を振られるほど。「〇〇くん、クリオ(当時のあだ名)のこと好きらしいよ〜」なんてのはよく聞く話でした(笑)もう気分はスター。そうか、みんなは昔の泣き虫の私を知らないんだ!と悟ったのです。新しい自分!(ニヤリ)当時の同級生が読んだら笑っちゃう記事だよね。

 詳細は覚えていないけど、かなりみんなにかなりよくしてもらったのは覚えています。それで自信をつけたのでしょう。ここで変わったのです。この注目される感じ、最高だなって思ったんでしょうね。もう筋金入りの泣き虫シャイガールは何処へやら。「お〜い、転入生!」とか「転入生のくせに」ってしつこく何ヶ月も呼んでくるやんちゃなクラスメートがいたのですが、そんな子にも「もういい加減にして!転入生なんて呼んでるのあんただけだよ!!」と言い返してギャフンと言わせるほど自身も湧いてきたのを覚えています。その頃はもう転校も慣れっこで、今日はどのグループの子達と遊ぼうかな?と日替わりで楽しんでいたほど。その余裕っぷりを見たのか、担任の先生からは「あなたはフリーエージェントなんだから、仲間はずれの子がいるからその子とぜひ遊んであげてほしい」と依頼があったこともありました。今でもツアーで静岡を訪れると会いに来てくれたりする素敵な仲間ができました。

 でもぬるま湯に浸かっていたのも束の間。たった1年でまた以前住んでいた千葉県に戻ることになったのです。あんなに盛大に涙流して別れたのに、どんな顔してまたみんなに再会しないといけないのか。思春期の私はそんな想いにもかられていましたが、ここまで来たらもう転校もベテランの域。静岡でつけた自信を武器にもう怖いものなしでした。

 ただ、また以前その学校にいた時に力入れていたソフトボール部。その頃は先輩も引退に差し掛かり、私たちの学年でレギュラー選手が決まる頃。ソフトボールを続けたかった私はまた入部をお願いしたのですが、もちろんブランクがあるため、レギュラーにはなれず。憧れのピッチャーにもなれませんでした。なのでとても悔しかったのを覚えています。でももしその時一年だけ静岡に行かなかったら、今はこうしてミュージシャンになってなかったかもしれません。おもしろいものですね。出戻った学校でも友達は温かく迎えてくれて本当に嬉しかったです。今でも大事な友達です。ありがたいですね。

 こんなことを乗り越えたからか、振り返ってみると引越ししたから友達の数も人一倍多かったし、今の私にある『根拠のない自信』が身についたのだと思います。一つの場所にいることに依存がないので、時期が来たら荷物まとめて引っ越すこともなんとも思いません。あんなに泣き虫でシャイな私が今の私になれたのもこの経験があったからなのかもしれません。そしてその後アメリカでさらに鍛えられ、2020年『豹変した久里子』が出来上がったわけですね。

 だから、住む場所が変わるということはチャンスなんですね。大きく自分が変われるチャンスなんだって思います。今年、日本に帰国して更に人生が面白い方向に流れだしている気がします。人生一度きり。後悔のないようにこれからも楽しいことをたくさん経験していこうと思います。

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