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問題には向き合っても/向き合わなくてもいい

※わたしの心理的非柔軟性vol.1
問題が目の前に現れると「絶対解決しなければならない」「しっかり向き合わなければならない」と真正面から向き合わなければならない…と思っていませんか?

わたしもつい最近までは、そう思ってました。いや厳密には、解決してもしなくてもいいと思ってました。でも自分の人生の中で優先順位の高い出来事…つまり仕事や家庭など…では真摯に向き合って解決しよう、それ以外のどうでもいいことは向き合わなくてもいいと思ってました。自分にとって大事なことなのに向き合わないのは「真摯ではない」と思っていました。

問題に「向き合わない」とは

これ文字で書いて伝わるかわからないのですが…真正面から向き合わないというのは「回避」とも違います。単に頭の中でのウエイトが違うのです。解決のために動いていても「それだけに集中してる」状態にしないような、そんな感じ。

かつてのわたしは「問題解決モード」になると、日常ずっと問題解決のことばかり考えてしまいがちでした。
want toな活動<問題解決
優先順位が上記の状態。問題が起こっている、その解決に動いているという目の前の出来事に頭の中が支配されていて、問題解決に関する周囲の動きにひとつひとつ反応して、周囲の反応に一喜一憂する。自分軸なwant to、どこにいった?感でした。

ただこの心理的非柔軟性に気づいて問題に対して「真正面から向き合う」ことをやめたら…なんとむしろ逆にスムーズに問題解決が進むようになりました。

問題に向き合わないほうが楽に解決できる!?

これは脳の仕組みから考えてもそうなって然るべきことで。目の前の問題に焦点を当てている状態というのは、抽象度が下がっています。「問題」がどうなるか?という未知の未来に対して不安やイライラの感情が湧きます。
こうなると理性的な脳である前頭前野は働かず、問題解決に対して「頭で考えてる」つもりでも本当の意味でベストパフォーマンスな脳で問題解決に挑むことができません。
「真正面から向き合う」ことを辞めると抽象度上がって俯瞰で物事が見れます。目の前の出来事に一喜一憂して感情が湧いたりもしないので脳のベストパフォーマンスを活かしてことにあたることができる。だから問題解決に真正面から向かうより、真正面から向かわない方が解決できちゃう。

真正面から向き合うことが、必ずしも「真摯な解決策」ではありません。解決真正面から向き合わないのが「不誠実」でもありません。

なにを守ってたのか?

心理的非柔軟性とは、なにか「自分を守るため」にできたものです。できた理由があります。この理由は、人によって違います。わたしの場合は「大事なことなのに問題解決できない、自分の思い通りの結論にならない」のは負けだと思っていました。

他人の思う通りになりたくない、自分の考えていることを信じている。他人の意見を取り入れたら負け。負けたらどうなるか。自分の価値がなくなる、と思っていました。

これを丁寧に丁寧に関係フレームを外して、今では問題解決への心理的非柔軟性がほぼなくなりました。心理的柔軟性がある、というのは「真正面から向き合ってはいけない」のではありません。向きあっても、向き合わなくてもいい。
心理的非柔軟性がなくなっていくと、ゴールやwant toにドストレートな行動選択を素直に取ることができるようになります。


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