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SS:純喫茶ブルーアワーにて「コーヒーゼリーを食べなさい」

 その喫茶店は、少し寂れた商店街の入り口にありました。
青と白のしましまのサンシェードを潜って入る店内は、白い壁と木製の家具。
観葉植物が少しと青色でまとめられた小物たち。
カウンターの内側からは、丸眼鏡をかけた若いマスターが微笑んでいます。

 マスターの後ろには食器棚があって、一番上の段の左の隅が彼の定位置です。
「クワイエットさん」と呼ばれる彼は、青いガラス製の小さなミミズク。
クワイエットさんは、その体で唯一の金色に輝く瞳をいつもキラキラと煌めかせているのでした。
 
 しばらく店内を眺めていたクワイエットさんは、やがてその透明な翼に天井から吊るされたランプの明かりを反射させながら羽ばたきました。
そしてガラス製の体をふわりとテーブルの上に降ろして、日の出前の空のように深くて澄んだ静かな声で、あなたにこう声をかけます。
 
「コーヒーゼリーを食べなさい。」



 「せめて私も、あなたみたいに綺麗だったら良かったのに。」
静かに呟いた女の子の細い指先が、青いガラス製の小さなミミズクをこつりとつつきました。
その透き通った深い青色の体は店内の照明を受けて艶めき、金色の瞳は星のように煌めいて正面を見据えています。
側面の大きな窓の外は梅雨らしくどんよりとした曇り空。
もうすぐ日も暮れようとしているのに、茜色ひとつありません。

 ブルーアワーのボックス席でポツリと呟かれた一言は、誰にも聞かれることのない独り言になるはずでした。
しかし、女の子が軽く目を閉じてふうっと息をつくと、とても近いところから「コーヒーゼリーを食べなさい。」と深くて澄んだ声をかけられました。
驚いて目を開いた女の子の目の前には、水の入ったコップと先ほど自分がつついたミミズク。
首を左右に振って近くに誰もいないことを確認した彼女は、最後にまたミミズクを見て、その瞳が女の子をまっすぐに見上げていることに気が付きました。
ミミズクはゆっくりとまばたきをした後、やはり深くて澄んだ声で今度は「とても悲しそうな顔をしているね。」と言いました。
「ブルーアワーのコーヒーゼリーは苦みがしっかりしていて、今の君におすすめだよ。」
女の子は元から痛んでいた心が、また少し痛んだのを感じました。

(やっぱり私には、苦くて可愛げのないものがお似合いなのね。)

 コーヒーゼリーが運ばれてくるのを待つ間、女の子はこの喫茶店に入る前の、大学での出来事を思い出していました。
お世話になっている教授の手伝いが終わり、数人の仲間たちと雑談をしていた時のこと。
「地元から彼女が遊びに来ているから、そろそろ帰るね。」
いつも優しい笑顔の先輩が、さらに優しい嬉しそうな笑顔で、背中にリュックサックを背負いました。
周りの仲間たちは銘々に、「じゃーね」「また来週」「お疲れ様です」とあいさつをしました。
先輩に恋人がいることを知らなかった女の子が、言葉も出ずに固まっている間に先輩は帰り、仲間たちの雑談は進んでいきます。

先輩の恋人がふんわりした雰囲気で可愛らしいこと。
高校生のころからお付き合いをしていること。
先輩が恋人のことを、とても大切に思っていること。

そのどれもが女の子の知らなかったことで、聞きたくなかったことでした。
「私も、失礼します。」
意識して唇の端を少しだけ上げて、背筋を伸ばして、研究室の扉を出てからの記憶は曖昧です。

女の子は優しい先輩に恋をしていました。

 「お待たせいたしました。」
やがて運ばれてきたコーヒーゼリーを見て、女の子は自分が思い違いをしていたことに気が付きました。
透き通った深い茶色の艶々としたゼリー、綺麗に絞り出された生クリームと爽やかなミント。
それらが背の高い透明なグラスに盛り付けられている様子は、ケーキやパフェの華やかな可愛らしさとは違うけれど、とても魅力的です。
スプーンで掬うとゼリー全体がふるりと揺れて、女の子は少し悪いことをしているような気持ちになりました。
まずは生クリームをつけずに、ゼリーだけで一口。
不思議なミミズクが教えてくれたとおり、苦みがしっかりとしたコーヒーゼリー。
冷たくてつるんとしたゼリーは、すぐに喉の奥に消えてしまいます。
残ったのは、ほんのりとした甘みと苦み。
「苦い。」
本当は、声に出すほど強い苦みではないのだけれど。
「苦い。」
本当は、コーヒーはいつもブラックで飲むくらい、苦みには強い方だけれど。
「苦い。」
女の子はいつの間にか、ポロポロと泣き出していました。

 しばらく女の子の様子を眺めていたクワイエットさんは、首だけをくるりと回して窓を見ました。
夜の暗さを湛えた窓には街の景色と重なるようにして、反射した店内の様子がおぼろげに映し出されています。
コーヒーゼリーを口に運びながら涙を流す女の子の横顔を、彼はとても愛おしく思うのでした。



最後まで読んでくださってありがとうございました!
「純喫茶ブルーアワーにて」の4作目の作品になります。
今回は書き出しや回想をどこに入れようかなど、とても頭を使いました。
読みやすさ、わかりやすさなど、諸々成功しているといいのですが・・・。
読んでくださったあなたに気に入って頂けていたら嬉しいです。
いいねや感想などお待ちしております。

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