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店舗取得に及び腰だった理由①

学生時代の飲食アルバイトで感じていたこと

高校生の頃に室井滋さんの本を読み、バイト三昧生活に憧れて、大学生時代、いろんなバイトに明け暮れました。

ホテルの結婚式場。
ペンションの泊まり込みバイト。
ファーストフード、居酒屋、レストラン、カフェ。
ゴルフのキャディに、アミューズメントパークの着ぐるみ。
家庭教師、ベビーシッターなどなど。

単発から長期バイトまで、数え上げると10以上。
(友達のピンチヒッター含む)

その中でも飲食のバイトは特にいろいろと経験させてもらいました。
その中で、私が感じていたのは「将来、飲食業にはつきたくない」というもの。

休みはなく、長時間勤務は当たり前。
華やかな結婚式場の裏側では、大きなポリバケツの中に、豪華な食事を
どんどん捨てていくという状況を目の当たりに。

正直、ずっと自分が続けるには辛いな、、、と感じていました。

けれどその後、企業勤めした時。
原因不明の発疹ができ、原因がわからない中で、お医者様からは漢方の処方と合わせて、食事を整えるよう言われます。

辛いものやお酒をやめ、和食を中心とした食事を心がける生活。
おかげで数ヶ月かけて体調は回復。
「自分の体は、自分の食べたものでできている」ということを体感しました。

元々、作ることも食べることも好きだった私。
食べ歩きは続けつつも、自炊中心の食生活を送るようになり、体調をキープできるようになりました。

そんな時、幼馴染の親友が、パティシエとしてタルト店をオープンさせるということで、声をかけてくれます。

旬の食材を生かし、できるだけロスの出ない方法で、売り切りごめんの販売をしたい。

そう話す彼女の言葉にひかれ、立ち上げを手伝うことにしました。

勤めていたタルト店のりんごのタルト

オープンの大変さを痛感

会社員をやめ、地元長崎に戻り、タルト店の立ち上げを手伝うことに。
彼女がオーナーパティシエとしてタルトを作り、
私が販売を担当。
途中からはスタッフの育成も担当しました。

準備を進め、オープン初日。
近隣にチラシをポストインしたこともあり、開店前から長蛇の列。
開店後、お客様の動線もできていなかった店内は大混乱。
たくさん作ったタルトは、数時間で完売。
完売御礼の張り紙を貼り、呆然と立ち尽くしたのでした。

お客様が詰めかける状況は2週間ほど続き、オープンから1ヶ月ほど経った頃。
彼女から「体力的にきつい」との相談を受けます。
週6営業しながら、開店後の諸々を背負っていた彼女を見て、自分の店を持つことの大変さに直面し、愕然としました。
その後は、休日を少しだけ増やし、人を増やし、なんとか乗り切っていきました。

そこから勤務を続けること一年半。
販売していると「うわー!」と歓声をあげながら、ショーケースの中をキラキラした眼差しで見つめる小さいお客様。
「美味しかった!」とその美味しさを熱く語ってくれるお客様。
クリスマスには、サンタさんとお客様との橋渡しをしているような体験。

それは、私がコールセンターを辞めるときに上司にやりたいと伝えた
「自分の好きな”食”を介した、リアルの場所での接客」そのものでした。

そんな嬉しい反応から、飲食業の良さを改めて実感していったのかもしれません。

シェアキッチンをはじめてからも

専業主婦となり、お菓子やパンを作っては周りに配っていたら、友人からイベント出店を勧められました。
思い切って出店した理由は「自分に自信が持てないから」。

ケーキ店勤務後、料理教室のインストラクターなども経験したものの、製造経験がなく、全然自信がなかった私は、友人知人にいくら美味しいと言われても、どこか疑いの気持ちがあったのです。

教室をやりたいと思いながらも、自信がないまま向かうのは難しいのでは?
そこで、第三者の声を聞くため、イベントに出店することに決めました。

製造場所の関係で、発酵時間が短いパンを販売しようと、友人たちからも人気のあった、ベーグルを焼くことに。
当日はたくさんの友人が駆けつけてくれ、おかげで販売したベーグルは焼き上げたそばから売り切れていく事態に。

その後、どうにかして今後も届けることはできないかと考えた結果、
隣の市である小平市にあるシェアキッチンを借りることになりました。


シェアキッチンとは、飲食業や菓子製造業などの認可が降りた製造スペース。
登録した利用者で製造場所を時間や日にちによってシェアすることができる。
現在は都内でも増加傾向にあり、運営方法は、専門の運営会社、個人、ショールームを兼ねて他業種の企業がスペースを貸し出すなど、運営方法としてはさまざま。

クリカ調べ


はじめは教室の生徒さんに注文を受け付けたり、雑貨店の軒先を借りての出張販売からスタート。
焼きたてを届けたいと、ようやく店頭販売を始めたのは1年後。
ただ、販売をはじめて、やはり一番の課題は体力的なものでした。

シェアキッチンの頃の看板は友人作

パン屋さんとしてイメージして欲しいのは、魔女の宅急便のおそのさんの旦那さん。
逆三角形の屈強な体で、パンがたくさんのった天板を両手に持つあのパン屋のご主人です。

パン屋は体力勝負。
一般的には朝も早く、肉体労働で、粉袋は大きくなると25キロ入り。

初めは25キロ袋は使っていませんでしたし、作っていた量も今の4分の1程度でした。

それでも、元々文化系だった私は、初めの頃は一回のイベント出店でその後2週間くらい接骨院に通うような状態。

店を持つなんてとんでもない、と思いながらも、
販売と教室を叶えれるような場所を作れないかと、妄想は続けていました。

2017年6月のノートメモ

だからこそ、シェアキッチンの利用を初めて3年目くらいからは
「サスティナブルでいくには?」を仲間と唱えて、
やめた方がいいこと、続けるべきこと、続けるためにやった方がいいことを、
常に考えるようになっていました。

シェアキッチンの途中から現スタッフにも入ってもらいました

読んでいただきありがとうございます😊
次回の記事もお楽しみに!


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