日本一短いローカル私鉄 紀州鉄道
紀州鉄道紀州鉄道線は、和歌山県の御坊市のJR紀勢本線の御坊駅から西御坊駅の2.7km、御坊駅を入れてわずか5駅の路線。1日18往復、片道わずか8分、片道150円の小さな路線。赤字を垂れ流しながらも、私鉄として存続している。日本一短いローカル私鉄、元・日本一短い鉄道と称されるのは、一般人が乗車できる2本の線路を走る鉄道で、かつローカル私鉄に限るということ。ローカル私鉄ではない本当の1位は千葉の2.2kmの芝山鉄道で2002年の開業で紀州鉄道は2位に、しかし芝山鉄道は大手私鉄の京成線と直通運転しているし、首都圏だしジャンルが違うよという話。ロープウェイとか貨物鉄道も除いている定義。
紀州鉄道株式会社は東京に本社を置く、不動産開発、会員制リゾート、ホテル、貸別荘などの管理・運営をする企業が本体となるのはよく知られた話。
和歌山県中部の中心都市の御坊市の御坊駅は特急くろしおがすべて停車し、和歌山以南で大阪まで直通する普通列車(快速)がある南端となる。紀州鉄和歌山や関西方面へ繋がる紀勢本線は御坊市中心部外れを通っていたため、中心部と日高川河口の港と紀勢本線を接続するため1931年に作られた御坊臨港鉄道が紀州鉄道線の前身になる。この手の路線は赤字を垂れ流す運命で、貨物と旅客のピークは1960年代で、そのまま廃線になるのが日本各地で起きていたこと。しかし、この御坊臨港鉄道という路線は何の因果か、福島県で鉄道を運行していた磐梯急行電鉄株式会社が倒産して鉄道事業は廃止して不動産開発専業の磐梯電鉄不動産となった企業に1972年に買収され、磐梯電鉄不動産は紀州鉄道株式会社と改称、その後不動産業の鶴屋産業株式会社が紀州鉄道の親会社となり今日まで存続している
この磐梯急行電鉄もとい磐梯電鉄不動産は曲者で、わざわざ赤字の御坊臨港鉄道に目をつけて買収したのは、鉄道事業の看板と信用を買ったと明確な理由がある。当時日本はバブルに向け宅地開発、土地投機、別荘・リゾート開発など不動産開発が盛んにおこなわれていた時代で、有象無象の胡散臭い開発業者が乱立していた時代。阪急や東急ブランドがあるように、不動産事業において鉄道というのは信頼と信用の看板で、磐梯急行電鉄も当時から地場エリアのリゾートや別荘開発を進めていて、鉄道事業が無くなった代わりとして御坊臨港鉄道をということ。紀州とあるけど、リゾート事業の中心や群馬県嬬恋村の北軽井沢や箱根、ビジネスホテルも名古屋や大阪です。一応南紀白浜とかもあるけども。
これだけだとまだよいのだけど、鉄道の信用を使って、あくどい商売をしていたことも事実のようで、令和の時代でも国会答弁や訴訟など問題の渦中にある会社というのが事実。端的に言うとバブル期に会員制リゾートを手が出る価格になるまで登記分割して所有権と利用権を販売、管理費や会費を徴収するというビジネスが行われていて、それを購入していた当事者が亡くなり、その権利が相続されてしまうというもの。今の時代一般人でバブル期のレベルの別荘がステータスになるはずもなく、解約しようとすると解約金が発生するとか、解約できたとしても今度は分割登記された古臭い買い手もつかない価値のない負動産は手放せず、年間数千円の固定資産税だけが遺族に降りかかり、滞納すれば財産を差し押さえられるし、登記費用や手続きで10万円規模のお金も発生して泣き寝入りという。税金がからむので自治体にまで迷惑がかかるパターン。
もちろん令和においては、紀州鉄道は経営刷新しているし、使用権のみの一般的な会員制リゾートや法人向け福利厚生などまともなリゾート事業を展開しているし、バブル期の遺産も平和的な解決も少しずつ進められているはずと信じたいし、鉄道会社という信用がこのように使われた事実は、鉄道史において記憶されるべき事象だと思われる。それでも紀州鉄道のインタビュー記事では、年間数千万円の赤字の鉄道会社を持つことは、信用を買っているとか、広告宣伝費と考えれば安いとか、紀州の名前は徳川家康御三家で東京一等地の紀尾井町にも残るとか言っているので、しばらくは廃止はされなさそうですね。
紀州鉄道についてはこの方のブログやYoutubeがかなり詳しくて面白いです。
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