見出し画像

ウクライナ訪問記① チェルノブイリ(2014年12月) ※写真大量

このようなご時世なので、もう一度当時のことを思い出して整理してみます。はっきり言うと便乗商法ですが、これをきっかけに東ヨーロッパへ興味を持つ人が出てきて、少しでも身近な国になればいいなと思います。

チェルノブイリは原発事故で名前が通っているだけあり、ニュースでも注目されている。このチェルノブイリ原発事故の舞台となったチェルノブイリ原発はソ連というイメージが強いと思うけど、現ウクライナ領内にある。

域内は立ち入り規制されている。

1971年、キエフ北部130kmのチェルノブイリ市のさらに郊外のベラルーシとの国境付近(当時はソ連邦)のドニエプル川沿いにソ連の科学技術鳴り物入りの原子力発電所が建設された(2000年まで稼働していた)。1986年4月26日未明に4号原子炉が制御不能に陥り火災が発生、核燃料が流出した世界史上最悪と呼ばれる原発事故が発生している。事故対応の杜撰さと、ソ連お家芸の隠蔽体質により被害が拡大したことが批判されている。

事故後30年経過して周辺の放射線量も安定してきたことから観光ツアーとして開放されている。観光のポイントとしては、当該原子炉を鉛やコンクリートの構造物で覆ったものが石棺と、放置された廃墟群となる。

石棺。
モニュメント
この場で車の外に出られるのは10分。
訪問当時は2014年12月で、老朽化した石棺をさらに覆うための可動式シェルターを建設中、のちの2017年に完成。今は石棺の上にかぶせられてる。
フランスの建築会社が参画、欧州復興開発銀行が基金を運営、総額3000億円超のプロジェクトとのこと。

廃墟群があるのは、原発に隣接しているプリピャチという原発作業員の町。この街は危険と隣り合わせの最精鋭科学技術者とその家族をねぎらうため、ソ連ではクレムリンとプリピャチだけと評される物不足とは無縁の地であり、劇場や遊園地やスポーツ施設などの最先端娯楽施設に、精鋭教育機関、最先端の医療サービスを受けられる病院など、ソ連が金に糸目をつけずに粋を尽くした社会主義のユートピアを体現している。その町が手つかずのまま放置されたことから、当時のソビエト文化を偲ばせる廃墟があるのが魅力。

Припять プリピャチ 1971年に第1号炉の建設が始まったので町の建設も直前。
送電設備
Energetik 文化宮
ソ連最先端のスーパーマーケット
バスケコート
プール、飛び込み台付き
音楽堂
遊園地
病院
マンション
学校だったかな
競技場
高級ホテル
幼稚園の教材
幼稚園のおもちゃ
幼稚園のおもちゃ
小学校
小学校
宿舎

チェルノブイリ市は現在廃炉処理に当たる作業員とその家族が暮らしている現役の町。殉職者の墓地、廃炉作業に使用した重機の展示などがある。

殉職者墓地
野ざらしの重機
警備詰所
チェルノブイリ市役所だったかな
道中
炉内に取り残され遺体が回収されていない作業員の像。

ツアー参加は当局の許可を得るために事前申し込みが必要で、「健康被害について自己責任です」といった趣旨の書類にサインをする。長袖・長ズボン必須、ものに触れない・持ち帰らないなどのルールが定められている。英語やロシア語ツアーなら一人1万~1.5万円くらい、日本語ガイドは倍だして個人アレンジになるとのこと、ネットで探せば出てくると思う。

域内を出るときは線量チェックを受ける。効いてるのかわからないけど問題なしでした。

ツアー自体は片道2時間ほど、日帰りならチェルノブイリ市内で昼食もついて夕方に戻ってくるイメージ。当日は12月は雪も積もった氷点下5度くらいの気候で、外を歩くので寒さが堪えた。被曝とかよりも街灯のない雪道を時速100kmで爆走するのが一番寿命が縮む経験でした。

チェルノブイリ市内でいただくツアーの食事。蕎麦の実入りのスープがメインの簡素な食事。
ツアーのレギュレーションと腕章




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?