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新聞屋 【2】20歳

友達と一緒に予備校に通うつもりだったが、お金の都合がつかず。
バラバラの予備校に行く事になった。
僕は偶然本屋で新聞奨学金の記事を見つけてすぐに電話をその場でかけて誰にも相談せずに決めてしまった。
事後報告で親に説明し、母親には怒られたが、オヤジは何も言わずにオッケーを出してくれた。
準備にひと月かかり、その間に仕事を辞め、軽く準備をして本当にカバン一つと3万円を持って家を出た。見送りには友達3人が来てくれた。それは今でもハッキリ覚えている。社会人になって1年間一緒に遊び倒した友達たちだった。
今でも付き合いがあるのは嬉しい事だ。

新聞奨学生は一度大阪の市内の方で集まり、3日間研修をする。しかし、ここの記憶はほとんどない。同じ歳くらいの子達が集まってワイワイしていたくらいしか覚えていない。
研修の最後の日に配属が決まる。机がズラーッと並べられた体育館の様な所で名前を呼ばれたら荷物を持ってその机に行く。そこには販売所の社長がいて、東大阪というところに決まった。契約書をしっかり読んでそこにサインしてそのまま販売所に行く事になる。
この時に同じ販売所に配属になった1つ下のヤツがいた。愛媛の田舎から出てきたと言っていた。大学に合格したが学費を自分で出すんだと言って奨学生になったらしい。物凄く仲良くなり今だに会ったりするなかだ。

配達は初めの2週間は先輩と一緒で、その先輩は2週間後にはいなくなる。同じ奨学生で契約が終わるからだ。それまでにコースを覚えて1人で朝刊と夕刊の配達とチラシの折り込みの作業をしなくてはいけない。
この販売所は特殊で朝の1時半からチラシを販売所の人全員の分を奨学生が挟まなくていけない。
自分の配達に出ていけるのは3時半過ぎからになる。そして5時半位に戻って来て、飯食って予備校のある梅田まで電車で向かう。本当に眠くて眠くてどうしようもない時もあった。
そして昼頃に帰ってきて、1時半からチラシの折り込みの作業がある。遅れると怒鳴られる。
3時ごろに夕刊が届き配達に行く。帰って来てもチラシの折り込みが5時半ごろまで続く。
そこから晩御飯になる。販売所の奥さんが作ってくれたご飯を食べて部屋に6時ごろに戻る。
そして奨学生はひと月で奨学金を14万程貰える。そこから半分は前借りした授業料の返済に当てられ、残りの7万はもらえた。
ここで何故か僕は弟が野球で私学に進むなら合宿所のお金を出してやるって言ってしまい。月々55000円を仕送りしていた。だから僕の手取りは15000円でそこから定期代や朝と昼飯代を出していた。結構カツカツの生活だった。

ここでも色々な事があった。

エピソード1
初めの契約書が全て違っていた。
契約書には、朝4時半から仕事で6時ごろに終了。昼からも折り込み作業は無しで夕刊は3時半から配達となっていた。更に販売所の上に住んでいたのですが、電気代は奨学生は2000円払えば使い放題と書いてあったが、実際は販売所が2000円で残りを奨学生が払う事になっていた。
奨学会の方に学校に行ってる時間が無いので販売所にしっかり言うて欲しいと言いに行ったが、取りあってもらえず言いに行ったのがバレて販売所の社長に嫌なら辞めてもらってもいいよって言われた。しかし学費を80万借りているので辞めるとそれが一括で親に請求が行く事になっていたのであやまって許してもらい働いていた。

エピソード2
ある日昼からの折り込み作業をしていると私服の刑事がきた。手帳を見せていたのでわかった。なにやら事務所で話した後奥さんが出て来て10日前から働きに来ていたオッちゃんを連れて来てくれと言われた。実はその日の朝からその人は出て来てなくて、夕刊にもいなかった。少し離れた所に販売所が部屋を借りて住んでいたのでみに行くと、誰も居なかった。荷物も何も無かった。後から聞くと殺人事件の逃亡犯でもし何か有れば連絡する様に社員と奨学生は言われた。気のいいオッちゃんだったので人は見かけによらないと思ったのを覚えている。

エピソード3
新聞配達は日曜と祝日の夕刊と月に1回の休刊日が休みで、後は週に一回だけ休みがあった。販売所の上の部屋に越してきたコレもオッちゃんだったが、社員として入ってきた。この人が身体が弱っていて部屋に戻るにも階段を使わないといけないのだが、かなり息を切らしながら登っていた。ひと月程過ぎて僕が休みの日、実家の方に戻っていた。夜に帰ってくると同期の奨学生が大変な事があったと言う。よく聞くと僕の隣の部屋でそのオッちゃんは寝たまま体調を崩して動けなくなりそのまま亡くなっていたようで警察官がきたり掃除したりで大忙しだったらしい。そう言われてみれば前の日の夕刊に来ていなかった。朝刊を配って部屋に帰る時にかなりしんどそうだったので肩を貸しましょかって声をかけたのが最後になった。身内も見つからず。販売所で送り出した。

エピソード4
晩御飯は契約書にも販売所で食べる事が出来ると書いていたので、僕と同期は大量に食べていたが、それが奥さんの気に触ったらしく。おかわりは一杯までと決められた。しかも食べる時に販売所の社長と奥さんとその子供3人と奨学生で一緒に食べるのだが、社長達はステーキで僕達は親子丼とか社長達が焼肉で僕達は味噌汁とご飯とか明らかに差がつけてあった。居候と言う身分を十分に味わった。部屋に戻ってみんなで悪口を言い合うのが楽しみでもあったのは間違いない。

そんなこんなで予備校での勉強に身が入らず。梅田でなけなしの金でパチンコしてみたり(かなり吟味して本気で勝ちに行っていた為この1年は勝ち越していた。)、天王寺でゲーセン行ったりして過ごす様になっていた。朝もだんだん起きれなくなり、当たり前に大学は全て落ちる事になった。今文章にしてみると当たり前だなぁーと思う。

でもこの1年は何にも変えがたい楽しくそして色々な事で勉強になった。
居候の気の使い方や使いすぎると自分が苦しくなるから良い塩梅に気を使う方法とか凄く今でも役に立っている。

契約が切れる頃には販売所の主任とかなり仲良くなっていたので、このまま販売所に就職しないかと誘われたが、本来の目的と違うのですいませんと断って、無職で実家に戻る事にした。

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