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締切りをこなさなくっちゃ

カリカリとパソコンで作業を進めながら焦りでアタマがのぼせそうだった。
制作物の納品日が今日。急ぎ進めているけれど追いつかない。
休憩はもちろんとる間もなく、自分の体内時計より時間は駆け足で過ぎていく。
もともとチーム長が見栄で切ったスケジュールだ。進行の無理はすでに連絡している。チーム長から指示はない。内心、本当の締切りにあたるのはもう少し先であると知っている。
夜も更けてきた。今日、締切をこなせるかは自分のプライドの問題でもある。
だけど...
お腹が減ってきた。

「いいや」
私としては珍しく諦めた。
一日二日納品が遅れたとて本来はなんとでもなる案件だ。たまには横柄になってやろう。

仕事を投げ出した私は、冷凍でストックしていた羊肉の餃子を取り出した。茹でるだけで簡単に大陸風のエキゾチックな夕飯にになる。
羊の特有な香り。もちもちの生地。

この羊肉の餃子はお気に入りの店が特別にテイクアウト販売しているものだ。
羊肉を使用していて珍しいし、家庭では再現できない味で、贔屓目にいってすごく美味しい。
通販で全国販売しても売れると思うのだがそうはしていない。買えるのは地元の特権だと優越感を感じつつ...ふと疑問に思った。

羊肉の餃子、美味しいは美味しいのだが、食べた人がみんな美味しいというだろうか?
日本人に馴染みのないクセがある。
前、友人が台湾を美食の国ときいて胸をときめかせていったところ、八角が合わず何も食べられなかった(コンビニのカップ麺を食べて過ごしたとか)と言ってたのを思い出した。
「美味しい」という言葉は自分にとってはそうでも主観に過ぎない。正しくニュアンスを伝えるのは本当に難しい....というか正しくある必要がない。
逆も言える。誰かが「まずい」と苦手に思ったものでも他の誰かにとっては「美味しい」かもしれない。絶対ではないのだ。
ネット上だと味に関して「絶対的にウマイ」「人生で一番の至上の味」などインパクトのあるキャッチがつらなる。鵜呑みにするのは悪くないが、それに反する感想をももった人を「味がわからない」など非難するのは危険だ。
そもそも味の評価は多面的でいい。みんながそれぞれもってる「美味しい」「まずい」を受け入れていくと人生が豊かになるだろう。

生き方だってそれぞれに味がある。
締切を諦めた私を羊肉が笑う。
まずい、わけじゃないよ。そうだ、見方によってはすべてがおいしい体験かもしれない。


こんな夜もあるよと清々しさをもって食べる羊肉

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