くりたたかし

28歳、父の名前を借りています。

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28歳、父の名前を借りています。

最近の記事

たとえば 僕がまちがっていても 正直だった悲しさがあるから

ここまでnoteを始めて、自己紹介、家族、出会った人たち、それらについて書いてみて自分の選択は間違ってなかったんだと納得する一方で、これでよかったのかなと思うことは結構ある。結局そんなもんだ。 そんな時に聴くのが吉田拓郎の一曲。 「たとえば 僕がまちがっていても 正直だった悲しさがあるから」 記事のタイトルにもあるこの一節を聴いたとき これは自分のことだ と感じる人も多いんじゃないかと思う(噂では爆笑問題の太田光がそう言ったとか言わないとか)。 確かに自分は間違ったのかも

    • 新たな世界の入口に立ち 気づいたことは1人じゃないってこと

      僕は今まで積極的に人との繋がりを求めるタイプではなかったから友達やコミュニティというのがそこまで多いわけではないと思う。小学校、中高、大学、社会人と、人並みに人と繋がってきた。 小学校。最も長い付き合いになりうる人と出会える場所。僕はそこで、今でも一番会って一番僕の性格をわかっている友人に出会う。奇しくも何度も僕を地の底に落とすことになる一人の女性にも出会うのもこの時で、その度にその友人に泣きつくことになるのは後の話。 やはり最も長い時間を過ごすと感性も似てくるのか、この友

      • I did it my way / 私は自分の道を生きてきた

        人生の幕を下ろすときにこうありたい、そう思わせるフランク・シナトラの名曲の一節。人は終わりに近づいたときに何を思うのだろう。やはり自分のこと、家族のことだろうか。自分と家族、それらは密接に繋がっている。僕も28歳になり親もいわゆる高齢者の部類に入って、やっとそんなことを考え始めたので書いてみる。 僕は、父、母、姉、僕、モカの五人家族だった。愛犬のモカは2019年に15歳で他界して、今は保護犬だったティナが二代目として実家にやってきている、どっちもヨークシャーテリア。そんなこ

        • 知らない街で 出逢いたい 真実の自分と

          2018年5月、僕は新横浜の駅で新大阪駅行きの新幹線を待っていました。現在も勤める広告会社での初配属、大阪への旅立ちです。 僕は大阪で2年の時を過ごしたけれど、一人暮らしや異郷での生活、初めてのこと尽くしであったので全てのことが新鮮で、なにより環境の変化の中で自分の変化を知ることができたのが大きかったと思います。僕には2年間で大きく2つの変化の機会がありました。 1つ目、それは部署の異動。僕はわずか半年で初配のマーケティング部から営業部へ異動したのですが、当時、僕は自分の

        たとえば 僕がまちがっていても 正直だった悲しさがあるから

          不器用だけれど しらけずに 純粋だけど 野暮じゃなく

          まず、この投稿がnoteでの初投稿になるけれど、どのようにnoteを活用しようかと考えているかというと、それは自分を整理するためです。自分ってどんな人間なんだっけということを考えるために書きます。自分は自分のことをこういう人間だと思っているし、こんなこと思うんだけど、どう? と問いかけてみて、反応があれば嬉しいです。 自分は継続的な人間でないから投稿が続くかもわからないので、その中でまずルールを決めました。好きな曲の歌詞の一節を取って何か思ったことを書くことをルールにしてみ

          不器用だけれど しらけずに 純粋だけど 野暮じゃなく