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I did it my way / 私は自分の道を生きてきた

人生の幕を下ろすときにこうありたい、そう思わせるフランク・シナトラの名曲の一節。人は終わりに近づいたときに何を思うのだろう。やはり自分のこと、家族のことだろうか。自分と家族、それらは密接に繋がっている。僕も28歳になり親もいわゆる高齢者の部類に入って、やっとそんなことを考え始めたので書いてみる。

僕は、父、母、姉、僕、モカの五人家族だった。愛犬のモカは2019年に15歳で他界して、今は保護犬だったティナが二代目として実家にやってきている、どっちもヨークシャーテリア。そんなことはどうでもいい、わけがない。大事な家族だ。でもまぁ人についてみていく。

父。67歳。奈良県出身だが幼少期は東京、北海道と転々としていたらしい。奈良の公立中高、浪人、大阪の大学を卒業後、大手製造会社に就職しアメリカ勤務を経験。定年退職後も関連会社で現役で働いている。

母。64歳。東京出身だがこちらも幼少期転々としていたらしい。中高を卒業後、女子大を経て公務員、結婚して専業主婦。今は週4くらいで仕事をしている。

姉。34歳、横浜出身の未婚。中高を卒業後、こちらも浪人、女子大、大阪の大学院を経て公務員として働いている。

僕。28歳、横浜出身の未婚。中高を卒業後、こちらも浪人、大学、留年を経て大阪で広告会社に勤務。今はベトナムで働く。

経歴を並べただけでもやっぱり家族だけあって似てるところがあるなと思う。母と姉は女子大出身の公務員だし僕と父は海外勤務を経験している。母以外は浪人と大阪を経験、また父以外は中学受験で運よく名門私立中高(父の公立高校もレベル高いみたいなので”私立”ってのは母の教育方針なんだろうけど)に入学したけれど勉強しなかったから大学受験で期待以上の結果は残せず。

父と母の過去についてはよく聞いたことがないけれど勝手に思っているところは僕の恋愛下手は父譲りで、怠惰なところは母譲りだということ。

奈良に住む祖母に父と一緒に会いに行ったときに僕は祖母から彼女について聞かれたのだけれど、その時なぜか父が 俺に似てそこらへん下手でね みたいな返答をした(なんでそっちが答えんねん笑)。また母がふらふらしている僕を見て 自分の昔を見ているようで嫌になる と言っていたことを覚えているから多分そうなのだろう。

話を戻すと、最近自分でやっと大人になってきたのかなと思うのは家族の関係を意識し出したところ。前まで僕は家族のことを考えるのに嫌悪感や恥ずかしさみたいなのがあって(僕の早食いは家族団らんの食卓をなるべく早く切り上げるために身に着けた技みたいな例えもある)。でもやはり社会人になって働くことを覚えると自然と父を意識するし、30を過ぎても一向に結婚の気配がない姉を見ていると 母の幸せ みたいなことを気にかけるようになって。すると自然に父と二人で食事をしたり出かけたりすることも増え、女の子に振られた話を母にしたりするようにもなった。

そして最近母のこんな言葉を思い出した。

「私の一年でもあるのに」

これは僕の浪人が決定したときに僕もいる中で、母が母の友人に嘆いた言葉だけれど、当時僕は理解するところもありつつ聞かないようにしていた。この一言は浪人の一年を共にする苦しさからだったろうし、子供の成長やステップアップを早く見たかったんだよなぁと思う。やはり親と子供は同じ時間を過ごしているから。

結局、自分の道って自分だけの道じゃない。父と母にとっては姉と僕が二人の道になる。

「I did it my way / 私は自分の道を生きてきた」

それならこれからの姉と僕の生き方で父と母に自信もってこう言わせてやりたいな、なんて思ったり。勝手に人の人生の幕を下ろしてしまったが、
「My Way」 僕の道は、家族の道。

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