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不器用だけれど しらけずに 純粋だけど 野暮じゃなく

まず、この投稿がnoteでの初投稿になるけれど、どのようにnoteを活用しようかと考えているかというと、それは自分を整理するためです。自分ってどんな人間なんだっけということを考えるために書きます。自分は自分のことをこういう人間だと思っているし、こんなこと思うんだけど、どう? と問いかけてみて、反応があれば嬉しいです。

自分は継続的な人間でないから投稿が続くかもわからないので、その中でまずルールを決めました。好きな曲の歌詞の一節を取って何か思ったことを書くことをルールにしてみます。(他に日常的なことも書くかもしれないけどね)。まず初めは、早くにこの世を去ってしまった河島英五の曲の一節。始まりにはちょうどいいと思い選びました。選んだ理由、それはただ単にこの曲が好きで、この曲のように生きたいから。人生の一曲みたいなものです。

「不器用だけれど しらけずに 純粋だけど 野暮じゃなく」

こんな一節に表れるように、この曲は不器用だけれども粋なスーパーかっこいい生き方を願う男の曲です。

僕は自分のことを不器用な人間だと思っています。

中学受験の塾では一言も発することができず、中高で自分らしさを発揮できたのは高校2年生からでした。その後浪人をし、就活に失敗して留年、好きな女の子には告白もできず童貞を卒業したのも24歳。タバコ・合コン・ダーツみたいな大学生で経験するような遊びを覚えたのも最近で、28歳になってそれらにドはまりしていました。なぜかステージを上るのが一歩遅い、そんな不器用な人間だと思います。

でも最近、それが自分だと思うようになりました。

いつもそんな遅れをとってきたから慣れが生まれたこともありますが、時間をかけて進んでいくことにゆとりを感じ始めたのです。格好つけてゆとりとか言っていますが、もちろん隣の芝生は青くて、結婚し家庭を持ち人生のライフステージを上がっていく友人たちは輝いて見えます(僕は結婚に対して人より一層の憧れを持っているので笑)。でも憧れはしますが、妬みやひがみはありません、だって今の自分には無理だとわかっているから。僕は不器用なのと同時に欲深い人間なので、遅れをとったけれども知ることができた世界を存分に楽しみたい。骨をしゃぶりつくさずには次のステージにいけないんです。ならもう目の前の肉を味がしなくなるまでしゃぶりつくしかない、そう思います。似合わぬことは無理をせず、ゆっくりと進んでいけばいいのです。

また、ゆとりをもって進めばいい、そう焦らないでいられる理由は なぜか僕は運がいいから というところにあります。進むスピードは遅いですが幸運なことに僕は運がよく、人に恵まれる才を持っているのです。だからこそ周りの人が先に進んでいっても、僕を置いて行くことはないし、遅れを取ったからほかの誰かにも出会うだろう、そうやってゆとりをもとうと考えられるのだと思います。あの時ステージを早く上がっていたら今周りにいる人たちには出会わなかった、過去を後悔することは周りの人たちに失礼だからやめようといつの日からか思いました。昔の友には優しくて 変わらぬ友と信じ込み、そんな生き方をしたいです。

最初の投稿なので自己紹介がてらこれくらいに。
こんな「時代おくれ」な私にお付き合いくださる方々、感謝します。


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