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新たな世界の入口に立ち 気づいたことは1人じゃないってこと

僕は今まで積極的に人との繋がりを求めるタイプではなかったから友達やコミュニティというのがそこまで多いわけではないと思う。小学校、中高、大学、社会人と、人並みに人と繋がってきた。

小学校。最も長い付き合いになりうる人と出会える場所。僕はそこで、今でも一番会って一番僕の性格をわかっている友人に出会う。奇しくも何度も僕を地の底に落とすことになる一人の女性にも出会うのもこの時で、その度にその友人に泣きつくことになるのは後の話。
やはり最も長い時間を過ごすと感性も似てくるのか、この友人を介して似てるなと思うコミュニティに出会うこともできた。運命的な出会いがあるとするならばこの頃をいうのかなと思う。

中高。子供が大人に近づく心の成長の場所。僕は6年間男子校だったが、そこでは思春期独特の不安定で複雑な感情をさらし合いながら過ごすから、そこで出会った友人たちには恥ずかしさなんて全くなしに話をすることができる。
余談だが、男だけの中で培った笑いや会話のチームワークというのは洗練されていて、合コンでフォーメーションを組むとするならばやはりやつらだ(お相手方が楽しいのかは知らんけど)。しかし最近はみんな結婚してしまい戦術を組むことができない。男子校でバカばっかやってたのに要所でステージを上がるのは上手なやはり賢い奴らだと改めて思う。

大学。様々なバックグラウンドの人が集まる初めて社会とも呼べる場所。そこには記憶の彼方にある”女子”という生物がいたこともあり、僕は自分の居場所や立ち位置探しというのに結構苦労した(結果童貞キャラに落ち着くんだけども)。
大学での人との接点作りは中高までのクラスという箱の中で先生たちが皆に均等に用意してくれる宿題のようなものではないから、自分で機会を見つけなければならないけれど僕はそれが苦手で。そしてその機会では自分と他人を比較して独自の判断基準でふるいにかけていくけれど、一方このふるいにかける作業が僕は得意で。結果として最後には、価値観という面においては特に似たものを持っている人たちが近くに残ってくれた。現在その人たちは僕にとって、自分の価値観がわからなくなった時に、それを矯正してくれるような存在になっている。

社会人。10も20も年の離れた人たちと同じ環境で働く場所。ここは大学という環境と反して、出会う人たちは就活=企業面接というふるいにかけられているから似た思考を持っている人たちが多くて。ほかの会社で働いてことがないからわからないけれど、僕の勤める会社はその色が強い環境なんじゃないかなと思う。
また会社って宗教みたいなもんで(悪い意味じゃないよ)、人は自分を導いてくれる人を求めている部分が幾分か誰にでもあるけれど、仕事を通してそれを感じる場面はやはり多くて。僕は会社でそんな導いてくれる先輩に出会えたからより一層会社に染まっていったのかなぁ思う。ベトナムへの出発を一番祝ってくれたのも会社の人たちでした。

「新たな世界の入口に立ち 気づいたことは1人じゃないってこと」

結局そんなシンプルなことを今感じている。
過去に出会った人たちについて考えるのはやっぱり次のステージに立つ時。学校であれば卒業、社会に出れば結婚や転職。周りの人達と物理的に離れ、自分の環境が変わることで、前の環境を俯瞰で見るようになる時。人が近くにいる時はもちろん楽しいけれど、近くにいるのが当然だからその人たちの大切さを意識的には理解しない。仕方のないことだけれど、もっと日常的に感謝しなければいけないとも思う。
そんな人たちには この先も隣で そっと微笑んで とは言わないが、隣の隣くらいでは微笑んでいて欲しかったり。

月並みの出会いを通しての月並みな気づきと月並みな文章だった。
「3月9日」と8か月、昼前の空の白い月はなんだか綺麗で 書いてみました。







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