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伊勢金比羅参宮日記(16)

3月15日(47日目) 住吉大社・四天王寺


 曇天、九つ半時(午後1時)より天気。

 この日、境(堺)に行く。妙国寺の蘇鉄を一見。この辺は鍛冶屋が多い。どの鍛冶屋もみな本家、本家と申す。刃物は一切きれず、決して買ってはいけない。

 途中よりいろいろと這●●に勧めてくる人が出るが、決して取り合ってはいけない。

 住吉四処明神(住吉大社)は大社であった。参詣する。そこから茶臼山麓に一心寺があり、石塔に討ち死にした人たちの姓名があった、分明ならず。

 そこから天王寺(四天王寺)を参詣。すこぶる大伽藍である。先年(1801年雷火にて)焼失してしまった際に、淡路屋某なるもの(錦袋町年寄の淡路屋太郎兵衛によって1813年再建)一人の寄進によって建立したという五重塔がある。至って高し。16文で第1番まで登らせてくれる。大阪の町中が一目下なり。登るべし。

 それから帰宅。伏見丁小西に行き、みなみな求めものの世話をして、求め遣わす。黒羅紗(クロラシャ:羅紗{羊毛で地の厚く密な毛織物})一表金2両1歩なり。日暮れて帰る。

 私は昨夜から風邪で声が一切出ず、直ちに家に引き込み安臥(楽な姿勢で寝ること)した。

貞(同行人:小暮貞次)は新町に走る。玉章(手紙、使者、たまずさ)しばしば来る。

3月16日(48日目) 大阪天満宮・大阪城跡


 曇天、御城や町内を見学。

 天満天神(大阪天満宮)に参詣する。大社なり。団十郎親子の額がある。花も実も木毎に薫る自在かな自筆なり。

 そこから饅頭虎屋に寄り、饅頭を食べる。実に3郡第一の饅頭屋とあって目を驚かすばかりである。焚木(薪)はイス(柞:イスノキ:マンサク科の常緑高木)を焚くので、軒下に積置いてある。

 そこから鴻の池(大坂の豪商)など見廻り、南門跡、四つ橋、新町に出る。九軒見世側である。


 中程に吉田屋喜左衛門宅がある。今に夕きりの衣服がある。片側少し堤がある。桜の植え込みがあった。入口、出口両方に碑がある。

 片方には、

「だまされて来て誠なり初さくら」

 加賀千代(俳人)なり。

 もう片方には

「春の夜は桜に明けてしまいけり」

 はせをなり。


 その辺りから雨が降り出し、新町の妓家で傘を借りて帰る。風邪は少し回復したようだ。

3月17日(49日目) 道頓堀から舟で京へ


 曇天、平佐出発して道頓堀から乗船する。ただし180文。京都まで乗っても同じ値段である。平佐から弁当が出る。おむすびであった。

 そこから川上へ50丁、道を7里行って橋本(三川合流部)に上る。夕刻に及ぶ。

 加とやと申す家に一泊する。


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