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伊勢金比羅参宮日記(15)

3月13日(44日目) 明石


 雨天。日の出と共に高砂を出発する。高砂の町外れに川(加古川)がある。石で堤防を築いてあり、その上を通る。

 そこから細道を12丁行くと、住吉の社(尾上神社)に到着する。庭前に尾上の鐘がある。古色名品絶妙。実に天下無双というべし。相生の松は、古木は現在枯れてしまい、社の様堂中にみすの内にある。現存するものは、3代目の植え継ぎである。枝葉は繁茂で、高砂に比べると男女葉が交ざっているなど、妙というべし。厨姥の図を寺から出している。

 そこから、別府住吉の社がある。庭前には手枕の松がある。これもまた妙である。そこから本社住吉四社の明神がある。相の松がある。???は左甚五郎作であると言い伝えられていて、古旧みるべしというが、信用しがたい。

そこから二子村(2里)、長池(1里)、大久保(2里)。ここで昼食を食べて、明石に到着した。ご城下はとても良いところである。


 御廓(城を取り囲むかこい)を離れて少し行き左に入ると、人丸の社(柿本神社:柿本人麻呂を祀る)がある。社前にはめずらしい枝の桜がある。八房の梅がある。これは寺(月照寺)の庭にある。大木であり船の形に作ってある。これは古木であり、大石内蔵助の介添、間瀬久太夫が、心願で植えたという。その他にも宝物あり、開帳料は100文である。人数をまとめて見ると良い。


 そこから山を下りて人家の間に忠度(一の谷で破れた平家の名将平忠度)の塚がある。立ち寄って見ること。


 そこのすぐ下の往還は大くら谷(大蔵谷)駅である。


 まだ日は高いが、雨天難儀のため、橋本屋久左衛門という家に宿泊することにする。良い宿屋である。明石浦は人丸社前から南海を望むところをいう。舟が絶え間なく往来している。

3月13日(45日目) 神戸


 朝曇、5つ半時(午前9時)から快晴となる。大蔵谷を出発(明石の内なり)し舞子浜に出る。一般的に40~50丁の内を言うが、ここは、北は山続きであり、一の谷、二の谷、鉄樗峯(鉄拐山)などである。この間には界川がある。細き流れである。播州と摂津との境である。


 また、敦盛の石塔(敦盛塚)が道の側にある。香花が絶えず捧げられている。その前には2軒ほど敦盛蕎麦を売る家がある。その呼び込みの言葉が古く同じき由、おかしきものなり。


 この碑は御影石で作られており、即三太六の作であると言い伝えられている。ここから東に一里ほど行ったところにみかげ村がある。即三太六が住んでいたところであったらしい。


 垂水村(神戸市垂水区五色山)は仲哀天皇の御陵(現:五色塚古墳。別名:千壷古墳)の千壷があると言うが道を急いでいたので見ずじまいだった。


 蕎麦屋あたりから案内の子供が現れる。ただし100文くらいと言う。32文くらいまでまけさせた。須磨寺まで案内してもらった。この者必ず頼むこと。

 須磨寺には敦盛の宝物(青葉の笛)がある。開帳は10人まで100文。そこから兵庫に至る。

 ここは至って繁華の土地で媼(ひめ・おう{漢字は年老いた女の意味であるが・・}ひめとフリガナあり)あり。飲食の値段も安くて味も良く、兵庫築島というところは他にはなく、即ちこの町内を惣して言うという。築島寺通りから3丁ほど南へよりあり。松王小侍(平清盛が兵庫築島造営にあたっての人柱伝説の人:築島寺:現在;来迎寺)の墓がある。敦盛の塔と同じ。他は見どころはない。


 そこから神戸村湊川に楠木正成の墓がある。左へ少しより欠抜けなり。石碑は水戸黄公建て給う処、後に正成42歳の木像がある。名工である。六文であったので後へまわした。

生田神社

 そこから、生田村、生田の社(生田神社)がある。庭前に梶原鎌井戸(梶原源太景李)、箙(えびら)の梅がある。古木のままである。

 ここから摩耶山。布引瀧への道がある。そこから住吉の社(本住吉神社)、住吉川、あしや川がある。西宮に到着。とうじや徳兵衛宅に宿泊する。戎社(西宮戎神社)は大社である。町の上の入り口にある。

布引の滝

3月14日(46日目) 大阪


 晴天、風あり。西宮を出発して尼ヶ崎を過ぎ、大阪に到着する。4つ半時(午前11時)である。長堀平野屋佐吉に至る。


 月代(さかやき)いだし、仕度を直して案内を頼み、斉藤町の篠崎長左衛門、梶木町の後藤春蔵(大阪の儒学者)、淡路町の御料ずしの西の廣瀬謙吉を尋ね、いずれも面会談話寛々(のんびりした・くつろいだ)。


 そこから、伏見町の小西という唐物屋でいろいろと買物をして夕方に帰宅し、食後に新町夜見世(遊郭)に一見にいく。道すがら草加(草加せんべい???)を見る。新町の松屋という店に入り、翌朝帰宅。新町で夜見世を張るところは、代金1歩で3厘付きである。女郎が三味線を引く。

 九軒見世というところは、太夫の遊びで一晩で一両余りもかかる。この土地ではロウソク代はまた別に取る。テンジンと申す者は太夫の次で宜しい。代金は30厘、一人前入用5厘の他にロウソク代などかかる。


 ただこの地は名代がなく、一度出れば外へ出でざるなり。また、馴染金もいらない。


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