伊勢金比羅参宮日記(21) 木曽路
3月30日(62日目) 木曽路
天気吉、中津川から落合へ。そこから馬込宿の間に十石村がある。十石峠という。この峠は美濃と信濃との境である。
そこから馬籠峠を越し、妻籠に至る。このあたりから馬の子をとる家が多い。12月に生まれたため7日間だけ馬屋におり、そこから山野に出して親子共に放し置く。
昨日から絶え間なく木曽川の谷間を行く。山の中では杜鵑(とけん:杜鵑は『ほととぎす』の意味。つつじの一種でほととぎすが鳴く頃に花を咲かせる。さつき)、花山吹、藤の花などが盛りである。
そこから、みとの(三留野:現・南木曽)、野尻を越えて須原に至り、もめん屋に泊まる。この辺りみな山中である。絶景多し。
4月朔日(63日目) 寝覚の床・木曽福島
天気吉、今朝寒気強し。
須原宿を出発し上ヶ松の間に小野の瀧がある。道の側なり。
そこから寝覚村に至り、寝覚山臨泉寺(臨川寺)と申すあり。浦島太郎の旧跡。寺の中から谷川を見下ろすと風景よく尾州侯(徳川慶勝)手植の松がある。弁天あり。寺の中の案内料はひとり5文ずつである。この村蕎麦の物あり。
そこから上ヶ松宿を離れて木曾の架け橋がある。双方から石垣を畳み上げて作ってある。このあたりもみな山中であるが平地である。馬の子が多い。終日蘇水の側を行く。
そこから福島宿、良いところである。番所(関所)がある。笠かむりものを取る。杖を持つ人は、つかずに引き下げ通る。但し届けには及ばず。
このあたりから駒ヶ岳が見える。夏も雪がある。
宮の腰村、お六くしが名物で、家々で売っている。薮原も櫛を商う。事前宿に同じ。
これから鳥井峠、1里半、半道登りで1里の下り。奈良宿(奈良井宿)徳利屋に宿す。
昨日から私は矢音す(意味不明:矢には糞の意味があり、下痢の意味か?)。ただしもっぱら気分に障りはないが、時谷は不快なようだ。
このあたりでは、桜、梨子(なし)、山吹(ヤマブキ)、杜鵑花(さつき)、一時に開くなり。
4月2日(64日目) 塩尻
天気吉、朝夕寒く、奈良井宿を出発して贄川(にえがわ)に至り宿端れに御番所あり。子細なし。
そこから本山洗馬(せば)に至り、洗馬町の下から善光寺通りがある。ここで離盃を汲み、時谷、小暮と別れる。
そこから郷原に出る。村井を過ぎて松本に至る。松本は案外の繁栄の地であり驚き入る。
そこから岡田宿に至り泊まる。大黒屋嘉介。良い宿なり。風邪まだ退かず。
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