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伊勢金比羅参宮日記(22) 松本から善光寺・上田

4月3日(65日目) 松本から長野


 天気吉、暖気風少しあり。

 岡田宿を出発して、少し行き仇坂峠あり。峯まで1里8丁、茶屋あり。


 そこから苅屋原宿会田たち峠(苅谷原宿・会田・立峠)あり。難所である。

 そこから青柳宿で茶漬。


 少々行きて石の切通あり。長さ十五間、幅1丈1尺、高さ1丈5~6尺、文化6年(1809年)4月切通とある。


 そこから尾見宿に至る。この宿端から姥捨山へ行く道がある。1本松と聞き行く。細道で難所である。姥捨まで2里半余りなり。姥捨山は放光院長楽寺という小寺に、俗人夫婦で寺子屋をやりながら住んでいる。前に俳諧堂あり。観音堂あり。田毎(棚田)見下ろし絶景なり。

姨捨SAより長野市方面の眺望


 おもしろや満ればかくる月影に

 下を見よとの姥捨の山

 東陽


 そこから八幡宮(武水別神社)参詣。ここから14~15丁で稲荷山に至る。ここは先年、地震(善光寺地震1847年)の上出火(1842年)し、普請は荒々出来の良いところである。


 丸屋平左衛門泊まり。


*火災は天保13年(1842年)。善光寺地震は、1847年5月8日。マグニチュード7.4。8,000人〜12,000人の死者。
地震と火災は別のようである。完成は1850年。


4月4日(66日目) 善光寺


 稲荷山出発、天気吉。暖気薄曇りを催す


 これから篠ノ井に行く。ここは江戸道の追分(分かれ道)。ここの宿屋に荷物を預け置き参詣する。ただしここまでは再び戻って来る。もっとも戸隠山へ参詣の人は荷物を持参すること。


 丹波島町はずれ犀川の流れがある。舟渡。ただし、大河であり四瀬になっており、みな大河である。綱を張り越して行く。この辺りはみな地震(善光寺地震1847年)の普請が未だに完成していないところが多い。


善光寺門前(2012年撮影)

 そこから善光寺町並みであり、良いところである。御堂結構なり。至って古し。石塔多し。みな地震にて打ち破れ、諸坊は普請未だ成らず。日々参詣多し。茶店にて茶漬けを食し、そこから篠ノ井に立戻る。ここでは氷雪を商う者多し。多食すべからず。


善光寺(2012年撮影)


 ここから追分を過ぎて、千曲川を渡り、矢代に出て、上下戸倉を過ぎる。この辺りは真田ひもが名物であり、家々にて商う。値段は安い。

 そこから坂木(長野県埴科郡坂城町)に着泊まり。し屋与惣衛門。


4月5日(67日目) 上田・小諸・追分


 天気、坂木を出発し、上田の城下を過ぎて、海野、田中、小諸を過ぎる。この辺りは上田縞(うえだじま)が名産である。かつ、木綿織物が安い。追分に至る。この辺り、山の間であって坂はない。平坦である。

 追分越後屋伝兵衛泊まり。良い家である。


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