見出し画像

人は何故、勉強しなければならないのかという問いについて考える

国連の調査に「余興時間の過ごし方調査」というものがある。

それによるとハンガリーやポーランドの人達は猛烈に勉強することが分かる。(もちろん、勉強しない人もいるが、平均的に勉強をする人が多い)

これらの国は、まずまず豊かな生活をしているが小国で、自国に工業的な強さが無いままEUに加盟したため、世界から取り残される危機感が強い。
また、個人の能力を上げるしか自分達を認めさせる手段がないことを知っている為、よく勉強をする。

実際、北欧のビジネスマンは、母国語の他に英語やドイツ語などいくつかの言葉を高いレベルで身につけている。

中国人、インド人なども、ホワイトカラーや経営者は休日も講習会や勉強会に参加して自己啓発に努めるなど猛勉強をする。

とにかく勉強をすることに対して意欲的だ。

日本もハングリーであった時代、人々はよく勉強した。
だが、最近の日本人は大学を卒業後、勉強しない傾向がある。
多くの日本人にとって勉強は受験のためでしかなく、試験に受かる為だけにひたすら退屈な知識を詰め込むことを勉強だと思っている。

だから、テストや試験が無いと小学生よりも勉強せず、遊んでいるかボーっとしているかで無駄に時間を過ごす。

大学で遊びを覚え、社会に出たら勉強すること止め、SNSやスマホゲームに大半の時間を費やしている日本のサラリーマンを見るとこの国の将来に不安を抱かざるを得ない。

では、人はなぜ勉強をするのか、しなければならないのか。

世の中には多くの人を喜ばすことができる人のほうが見返りが大きくなるという真理がある。

例えば、ある商品を1日に100個作ることができる人と、1,000個作ることができる人では、後者の人の方が多くの人々を喜ばすことができる。

1日に1,000個の商品を作ることができる人は「どうすればたくさんの商品作ることができるのか」、「そのための素材どこから集めるべきか」、「どこでどういった加工をするのか」こういった知識を「勉強」から獲得している。

そして結果として勉強している人はしていない人より多くのものを生み出せるようになり、より多くの人を喜ばせることができるため、見返りが大きくなる。

その見返りが豊かさなのか、地位や名誉なのか、知識なのか、それは人によって異なるが、既に求めているものを手に入れている人は勉強をしないし、未だに求めている人は勉強をする。
これがなぜ勉強しなければならないかの答えだ。

更に言えば、世の中を形成しているのは人々の労働で、社会の富を作っているのも労働だ。
誰かの労働のおかげで我々の生活は豊かで便利になっている。

そしてこの人々の労働の裏側には勉強が宿っている。
勉強が人々の労働の質を高め、その労働が我々の生活を豊かにしている。

私達の周りにある非常においしい食べ物、感動的な音楽、没頭してしまうゲーム、便利な機械を適正な価格で手に入れることができるのは誰かがその商品を作るために労働しているからだ。

アダムスミスは『国富論』の中で”文明社会では支配できる労働の量によって商品の価値が決まる”と説いた。

より良い商品・サービスを世の中に提供できる企業はそれだけの労働力を保有しているということになり、裏を返せば企業は良質な労働力や労働量を求めているということだ。

自分は見返りのためではなく、好きだから勉強をするという人もいるが、それはやがてその人の労働力を強化し、その人を含めた誰かの願いをかなえるうえで大いに役立つことになる。

勉強は試験のためにするものではない。
この厳しい世界で自身の価値を発揮して生き抜いていく力をつけるために続けるものだ。

そしてそれは「答えのない問いを考えられる回路」を頭の中につくり出すことにつながる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?