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人生は壮大な暇つぶしという話

生きている意味を考えたことはあるだろうか。

究極的に言えば、動物や植物がそこに存在する大きな理由がないのと同じように、人が生きていることに実は大きな意味はない。

だが、なぜ人はしばしば「生きている意味」について考えるのか。

それは人生に膨大な暇時間があるからだ。

人はその膨大な暇時間をありとあらゆることで潰しながら生きている。
そして、その暇を潰すうちの何かが「生きている意味」となる。

「自分は毎日忙しく動いているから暇なんて無い」という人はそもそもその『忙しく動いている何か』が人生の暇つぶしになっているという認識が無い。

人は生きている限り、自分の暇な時間を使って何かしらの行動をする。
それは暇な時間を潰すための何かを常に探し続けているとも言い換えられる。

だが、厄介なことに時代が進めば進むほど世の中は便利になり、暇な時間はどんどん増えていく。

例えば、
・ 水道が引かれたことにより水を汲みに行く時間が不要となった。
・ 洗濯機が誕生したことで手で洗濯する時間が不要となった。
・ パソコンの登場により手書文書を作成する時間が不要となった。

こうなると人は暇になった時間を何かしらで潰すことを更に考えなければならなくなり、それは体の衰えや活力の欠乏と共に徐々に難しくなっていく。

以前は生きるのに精いっぱい、忙しくしている間に1日が終わり、あっという間に年を取り、老後でようやく忙しくなくなって余生をゆっくりと過ごすという生き方が成立していた。

だが、現代社会は便利になりすぎて比較的若い年代から暇を弄ぶようになってきた。
『24時間働けますか』のキャッチフレーズが流行ったのも今や昔、現代人には暇時間が圧倒的に増えた。

特にホワイトカラーは「働き方改革」の名のもとに労働時間が減った。
コロナ禍で爆発的に普及したテレワークにより通勤が無くなり、打ち合わせのための顧客訪問が減り、以前のように朝早くから夜遅くまで働く人の姿はオフィスから無くなった。

「仕事は人生最大の暇つぶし」とはよく言ったものだが、ホワイトカラーの人々は「働き方改革」によってその暇潰しも十分に機能しなくなった。

こうなると人は、この潰せなくなった暇時間をなんとかして埋めようとする。
近年の副業解禁の流れは、この暇時間の増加が関係している。

自己研鑽や副業に自分の時間を投資する人たちは仕事以外の新たな暇潰しに時間を費やすことができるが、やりたいことを見出すことができず、怠惰な生活を送る人は時間を無駄に浪費することになる。

仕事熱心だった人が、退職後ボケて行くという話はよく聞く話だが、生きている時間を浪費するようになると、やがて人は自分の「生きている意味」を見失う。

人生は死ぬまで続くので、暇つぶしが上手くできなくなると人は「生きている意味」を考えることになる。

運よくやりがいを見つけられた人も、今を忙しく生きている人も、何か一つをやり遂げ、やりがいが無くなってしまうとその瞬間、生命の炎が消える。

暇つぶしは、言い換えれば脳を活性化させることだ。
脳が活性化していると、怠惰な生活を送っていようが忙しくしていようが充実感が残る。
充実感の無い暇つぶしは脳にとっては自殺行為で、長く続けば脳が腐り、やがては死に至る。

暇の潰し方は、充実感があったほうが圧倒的に楽しい。
幾つになっても充実感があり、脳に張りのある暇潰しをしていれば生きる意味を失うことはない。

仕事でも趣味でもなんでも良い、充実感のあること、やり甲斐があること等、脳を活性化させる何かを探し続けることだ。

人生の暇潰しを有意義にしていると人は生きている実感を得ることができる。

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