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人材育成に悩む人が色々と取り組む前に知っておくべき人材育成の達人の心構えについて

幼少期から徳川家康に仕えていた三河の武将安藤直次は、有能でありながら義に厚い硬骨の人物で、人材育成の達人と呼ばれていた。

直次は晩年、家康の10男徳川頼宣の付家老となり、頼宣が和歌山城に移ると紀州藩付家老として同行し、紀州藩主となった。
当時65歳であった直次は自分が老いて間もなくいなくなる身であることを認識し、紀州藩の人材育成に心を砕いた。

直次の教育に関する逸話は幾つかあるが最も有名なのは徳川頼宜が乱暴なふるまいをして直次が頼宜を取り押さえた時、頼宣の膝に痣ができたが、頼宣はその痣の治療を戒めとして辞退したという逸話だ。
直次は頼宜をもってして「直次がいなければ大名としての自分はいなかった」と言わしめる程の人物であった。

直次は紀州藩主として役人達から伺いを受ける立場であったが、直次は役人が正しいことを述べたときにはそのまま認可し、よくないと思う事を述べたときには「考え直せ」と却下するだけであった。
却下された役人が自分の頭で考え、正しい意見をするまで何回でも首を横に振るだけで何も教えなかった。

そんな直次の態度を近くで見ていた老中の土井利勝が「もし意に沿わなければ指示されて、その場で直された方が効率的ではないですか?」と聞いた。

直次は「伺いをたてに来た時、ああしろ、こうしろと指図するのは簡単だが、そうすると部下達は伺いさえ立てれば済むと思い勉強しなくなる。そうなると自ら進んで努力する人材が育たない。」と答えた。

直次のこの発言は教育方針について考えさせられる。
昔の教育は現代社会では効率が悪いと言われる徒弟制度が基本であった。

徒弟制度には親方と弟子がいて、親方は弟子が来たからといって、手取り足取り教えることはしない。
一緒に生活し、現場で見本を示すだけで、弟子がそれをどうモノにするかは弟子の意欲と能力次第というものだ。

弟子は親方がいとも簡単に行う仕事のやり方を盗み見てやってみる。
だが、一度やってみるだけでは大抵の場合うまくいかない。それでまたやり方を見直して工夫する。
こうやって、自分で考えて技術を習得していく。

この時に一番大切なのは、素直で自然な心だという。
それが無いと技や知識は成熟していかない。

現在の教育は、教育側が一定のメソッドで効率的に物事を教えようとするし、Youtubeを見れば簡単にやり方を見ることができるため、必要最低限のことを最短距離で学ぶことが出来る。

あらゆる物の進化が早い現代社会に徒弟制度がそぐわないことは理解できるが、徒弟制度は教えることをせずに人を育てるのに対し、現在の教育は教えるが人を育てない。

人材育成とは単に知識のある人間を育てることだけではない。
人格形成に寄与する体験や経験の機会を与え、自ら考え行動するよう導くことが重要だが、最も大事なのは育てる側の愛情だ。

安藤直次は藩主として藩を愛し、藩を支える人材を大切に育てたからこそ名藩主として今もなお語り継がれている。

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