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「本を読むのが好き」というと「すごいね」「偉いね」と言われる違和感

 本を読むのが好き。それは、小さい頃から身近に本があり、娯楽らしい娯楽が本くらいしか存在しなかったからだと思う。だから、私はゲームをする感覚で本を読む。

 若者の読書離れ、なんで聞くけれど結局は本を娯楽として捉えるか、勉強として捉えるのかの違いだろう。小説は読まないけど漫画は読むという人も多い。漫画だって立派な本だし、私も漫画は好きだ。

 読書嫌いが生まれる原因に「本を読むのは偉いことだ」という感覚があると思う。本を読むことは勉強することに近く、それは義務になる。大人たちは口を揃えて「本を読め」という。その最たるものが読書感想文だろう。

 ここで誤解のないように書き添えておくが、私は読書感想文という夏休みの宿題が大っ嫌いだった。大人が指定した興味もない本を読み、大人が望むような感想を書かされる。読書感想文は大人が考える子どもの思考をもとに評価され、優劣が決まる。反吐が出るほど読書感想文が大っ嫌いだ。

 想像してみてほしい。指定のゲームを期日までにクリアして、400字詰め原稿用紙3枚に感想を書かされる。しかも、それなりの文章力で大人が求めるような感想を。絶対やだ。やりたくない。ゲームを嫌いになる自信しかない。

 義務感で本を読んだ子どもたちは、読書体験を娯楽ではなく勉強と捉える。ただ物語を楽しむだけで良かったものが歪に形を変えられて「宿題」になる。

 繰り返すようだが、私は読書を娯楽だと思っている。現に、私は親に「本ばっかり読んでないで勉強しなさい!」と怒られて育っている。「ゲームばっかりしないで勉強しなさい!」と言われてきた子との差は、子供がお小遣いを使って買わなくても、本にはアクセスできる環境が整っている点だ。

 学校に行けば図書館がある。市立図書館だっていい。そこに行けば本が借りられる。なにも知らない大人たちは「本を読んで偉いねぇ」と見当違いな褒め方をしてくる。私はいい子のふりをして娯楽を得る。

 別になにも偉くないのだ。だって、数学の宿題もやってない、ミステリーや恋愛小説ばっかり読んでいる。読書感想文も書かない。ゲームをしているのと同じなんだから。

 本ばかり読んでいた私を叱った親は正しかったのだと思う。私にとって本を読むことは「いけないこと」だったから、私は読書を娯楽と捉えたように思う。

 今でも本は好きだ。仕事をはじめてから読む頻度は減ったけれども、本屋さんはテーマパークと同じくらいわくわくする。物語りに触れると現実になかなか戻って来れなくなる。

 夜通しゲームをする子供のように、私は本を読んでいる。

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