見出し画像

死ねない理由を書き並べて生きている。

 最近ふと、「いま首を吊れば、もう何もしなくていいんだ」と思うことがある。

 念のため注釈を入れておくけれど、別に死にたいわけでもないし、首を吊るのは怖いし、痛いのは嫌いだからやらない。お菓子をもらって喜ぶ感情も、後輩と笑い合う余力もある。

 ただ、死ねば解放されるという選択肢が頭の中に浮かぶだけで。

 そんな私を引き止めているのは、目前に迫ったゴールデンウイークだ。

 無理やり有給休暇をねじ込んで9連休にして、仕事なんてしない日々を送るつもりでいる。そんな幸せな連休を目前に、首を吊って死ぬのはもったいない。だから、まだ生きている。

 「生きる理由」を探す人が多いけど、私は「死ねない理由」を書き並べて生きている。おおよその人間はそうだと思っていて、「生きる理由」なんてキラキラしたものを抱えた人の方が少数派なんじゃないかなとすら思う。

 私の死ねない理由を書き並べたら、本当に些細なことばかり。ゴールデンウィーク、新作のお菓子、友達と遊ぶ約束、まだ一回も袖を通していないお洋服、6月にもらえるはずのボーナス、消化しきってない有給休暇、全然叶ってないやりたいことリスト。

 全部やってしまわないと、私は多分死ねない。日々、死ねない理由ばかりが増えてがんじがらめに生きている。

 息苦しいし、死にたいし、生きたい。お金も欲しいし、人間らしい生活もしたい。健康で文化的な最低限度の生活を手に入れたい。お金はあっても、そんな生活は手に入れられないなと思うし、基本給が8000円上がっても手取りが1000円しか上がらない世の中に嫌気がさす。

 健康で文化的な最低限度の生活が、飢えず、苦しまず、ただ生きることであるならば私はその条件を充足している。でも、でも、と思うのはわがままなのか。

 毎日、胸痛がする。息が苦しい、頭が痛い。仕事から帰ってきたら電気をつけたまま寝てしまう。お昼ご飯を食べる時間はないし、夜ご飯を食べる気がしない。家に帰ったらへたり込んで立てなくなる。しばらく寝てから夜中に起きて準備をして、気絶するように眠りにつく。

 仕事をしてもしても手取りはお小遣いほども増えないし、欲しいものを買ってもそれを使う暇がない。ゲーム機は置物となり、予定のない土日は泥のように眠り、予定のある休日は「なんで予定なんか入れたんだ」とすら思う。

 人付き合いが面倒くさくなり、仕事以外の連絡ができなくなる。やらなければ罰される、そういう負の感情だけで無理矢理立って歩いて笑っている。

 愚痴っぽくなってしまった。こんなnoteを書くつもりはなかった。でも、こんなことしか書けなくて、ずっと更新できなかった。

 許して欲しい。書いたとして、同じ感情の繰り返しになる。それだけ。

 スマホのガラスフィルムが割れても買いに行こうとも、張り替えようとも思えない。前の私は、そんなことなかったのに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?