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ハマス・イスラエルのナラティブについて

2023年パレスチナ・イスラエル戦争について読者に説明する必要はないだろう。
詳しい経緯はWikipediaでも参照して欲しいが簡単に要約する。
なお私は国際法・中東地域に関する専門家ではない。

戦争以前の状況:
ガザ地区はイスラエルの南西にある地域。
輸出入は封鎖され、人口が多く、劣悪な環境にある。
散発的なイスラエル側による殺害も確認されている。
「天井のない監獄」とも呼ばれる。
ナチスのゲットーにも例えられるが、同等に劣悪な環境ではない。
ハマスはガザを民政含め事実上統治する。テロ組織にも指定される。

2023年10月7日:
ハマスがロケット攻撃と共にイスラエル領内に侵入。
イスラエルでは民間人を多数含む1,300人以上が死亡。
ハマス側は戦闘員1,100人が死亡。

その後イスラエルはガザをミサイル攻撃。
現時点で2,500人が死亡。多くは民間人。

2023年10月15日 (記事作成時):
イスラエルによるガザ侵攻が開始。


国際法上の整理

イスラエルによる東エルサレム入植

イスラエルは同じパレスチナの東エルサレムを入植している。
これは国際法に違反する。
日本政府も同様の立場。
簡単言えばイスラエルはそもそも侵略者である。

ガザの封鎖

戦争以前からイスラエルはガザを封鎖している。
これをイスラエルは自衛権で正当化している。
国連や人権団体は集団懲罰だと指摘している。

これが国際法に違反するとは私は断言しない。
だが重要な人権上の問題であることは間違いない。

ハマスによる民間人殺害

ハマスはガザ国境近くのイスラエル人や外国人を多数殺害した。
これは国際法に違反する。
この点は明確で特に問題はない。

ただし国際法において特に「テロ」と「非テロ」の戦争犯罪を区別する規定はなく、その合理的理由もない。

ハマスによるロケット攻撃

ハマスは無誘導で簡素なロケット(カッサームロケット)によるイスラエルへの攻撃を行った。
これはハマスの常習的な行為。
ほとんどはイスラエルの「アイアンドーム」により撃破され死傷者は少ない。

軍事目標を狙った攻撃ではなく、これは国際法に違反する。
ただし私としてはいくつかの論点があると思う。

  1. 事実上アイアンドームのミサイルを消費させる攻撃ではないか?
    ほとんどが迎撃されることを考えれば、民間人被害はむしろコラテラルダメージなのではないか?
    その場合、ロケット攻撃は国際法に違反しないことになる。

    なおアイアンドーム以前からもハマスはロケット攻撃を行っていた。
    当時も死傷者は少ない。

  2. ロケット攻撃に対する「必要性・均衡性原則」は?
    ロケット攻撃はほとんどが迎撃される。
    この場合、迎撃後の死傷者と消費した迎撃ミサイルだけで均衡性を勘案するべきか?
    あるいはアイアンドームがなかった場合で勘案すべきか?
    私としては前者を支持。

    いずれにせよ迎撃が無くても死傷者は数十人程度。
    今回以前はハマスのロケット攻撃に対し、イスラエル側がミサイル攻撃で遥かに多い被害を出していたのでこれは重要な争点。

  3. 軍事能力をどう勘案するべきか?
    ハマスは精密誘導爆弾など保有しておらず、カッサームロケットは彼らが持つ最も精度が高いロケット兵器(それしかない)。
    仮にイスラエル側が保有しているのと同等の兵器を持っていた場合、ハマスはそれを利用しただろう(精度以前に威力が桁違いなので)。
    時代によってコラテラルダメージの評価も異なることから、ハマスの乏しい軍事力を考慮する必要はある。

    ただ民間人被害を回避する努力を怠っている点も事実。
    彼らの能力でどのようなことができるかは知らないが。

イスラエルが持つ自衛権

イスラエルは攻撃に対する自衛権を持つ。
この点も明確で特に問題はない。

ただし自衛権は「必要性・均衡性原則」を満たす必要がある。
イスラエルはこの原則に違反し、報復的な虐殺を行う常習犯である。
「先に攻撃した側の責任だ」などという正当化は通用しない。

「自衛権の支持」は一見自明な権利を肯定しているだけだが、過去のイスラエルの行動からこれは戦争犯罪の容認と捉える余地がある。

電気、食料、水、ガスの停止

イスラエルはガザ地区への電気、食料、水、ガスの供給を停止した。
EUや国連はこれを国際法違反である集団懲罰と指摘している。
今回の戦争におけるイスラエル側による明確な国際法違反の一つ。

なおガザはエジプトとも国境を接しているが、イスラエル側が封鎖を要請し解放されていない。

イスラエルによるミサイル攻撃

イスラエルは多数の民間人を殺害するミサイル攻撃を行っている。
イスラエルはこれをハマスによる「人間の盾」の結果だとして正当化しているが、現地の観測や映像からもその主張を裏付ける状況にない。
ハマスがロケット攻撃などを市街地で行うことがあるのは事実だが、ほとんどは軍事目標に該当しない。
従ってその全てあるいはほとんどは国際法違反と認められる。

イスラエルが正当化の際に用いる「ハマスの拠点」は軍事目標ではないものを含む。
その場合は国際法違反。
またイスラエルは高層住宅も攻撃対象にしている。

ゴールドストン報告

以上の私見を裏付けるものとして、2008年のガザ紛争に対するゴールドストーン報告書がある。
要点は以下。

  1. イスラエル・ハマス双方が戦争犯罪を犯した。

  2. イスラエルは全住民の刑罰を目的とした行為を故意に行った。
    これは国際人道法違反。

  3. 長期的なガザ封鎖は集団刑罰。

  4. イスラエルの軍事作戦は比例不適合。
    戦争犯罪および人道に対する犯罪を構成。

  5. イスラエルは民間人の犠牲を回避できなかった。

  6. イスラエルの処罰に安全保障理事会の強制措置及び国際刑事裁判所の手続きが必要。

なおゴールドストーン本人が後に一部を修正する記事を書いている。

ナラティブの整理

国際法と世論を動かすナラティブは別だ。
ここで主にイスラエル側の主張するナラティブを関して論じる。

何の罪もない女性・子供

戦争の被害を訴える際、"innocent civilians"や"women and children"という表現はどこにでも現れる。
罪のない民間人は犠牲になるべきではないという当然の主張だ。
今回の件で特にアメリカではかなり効果があったようだ。

ただイスラエルは平時からパレスチナ人を殺すし、報復で民間人を虐殺するような国家だ。
建前としてのは強力だが、ガザの爆撃映像を見て今更イスラエル人を純朴で無垢な被害者と見做す人は多くはないだろう。

かつて少数のコラテラルダメージや残虐行為が世論を変える様な「テレビ戦争」の時代を予期した向きもあったが、現代人は戦場の残虐行為に慣れている。
実際には素朴な同情より各々の政治的立場で判断する中、相手を攻撃する手段として使われているというのが実情だろう。

また時間の問題がある。
イスラエル側の民間人被害は最初期だけ。
映像も先進国で起きた1,300人という数字の割には多くはない。
被害者の人となりを伝えることで「先進国民の我々との近さ」を強調できるかもしれないが、戦争が進行中であれば最新ニュースを優先する。
時間が経つにつれイスラエル側のナラティブは弱くなるだろう。

テロとの戦い

テロと非テロで同じ戦争犯罪を区別するのは国際法として意味不明だ。
しかしイスラエル側は、双方戦争犯罪を行う中で自己を正当化する手段として使っている。

言うまでもないことだが、直接目を見て民間人を殺すのと、精密爆撃で高層住宅を破壊するのは同じことだ。
そんなことは誰だって分かることだろう。
結果どちらも民間人が死ぬ。

とはいえ感情的に先進国民が同情しやすいのはテロの被害者には違いない。
途上国でもミサイルで攻撃された経験を持つ人は少ない。
単なるプロパガンダに過ぎないが多少の説得力を持っている。

テロに屈してはならない

テロをきっかけに何かを変えてはならないのは基本的な対処だ。
なぜならそれはテロを誘発し、被害者から言葉を奪いながら加害者に語らせるという不均衡があるからだ。

ただテロの被害者であることは国際法違反をなかったことにはしない。
国際法違反はいつでも、テロリストを誘発するようなタイミングであれ平時であれ、常に是正され裁かれるべきものだ。
結果テロリストの利益になったとすれば、以前指摘された時点で是正しなかったイスラエルが悪い。

「テロに屈するな」という主張は今回それ程聞こえてこない。
ブレイビクのような事件とは性質が異なるから当然だろう。

人間の盾

「敵は人間の盾を使っているのだから民間人の犠牲はやむを得ない」というナラティブが使われるようになったのはイラク戦争の頃からだろうか?
最近ではロシアが民間施設の攻撃を正当化するのに使っている。

この件でイスラエルは本気で主張しているのか疑わしい。
というのは民間施設への攻撃意図は明らかであるし、説得的な証拠を示していないし、ハマスの軍事拠点がそれ程沢山ある訳でないのは明らかだ。
おそらくイスラエルは内政も行っているハマスの公共施設、例えばラジオ局を指してハマスの施設と呼んでいるのだろうが、これは軍事目標ではないので当然に戦争犯罪だ。

あるいは多少の武器が存在するだけでビル一つ壊して良い訳ではない。
「予想される具体的かつ直接的な軍事上の全般的な利益との関係において明らかに過剰な文民の生命の喪失もしくは(略)」である場合は戦争犯罪だ。

現在では「人間の盾」はかなり素人臭い主張だ。
というのはハマスは実際に軍事基地に集まっているわけではないが、「人間の盾」を意図的に使って重要な施設を防御したという事実もない。
というよりそもそもそれ程重要な施設はないだろう。
せいぜい住居に兵器が貯蔵されていたり、待機中の兵が居るというのは先進国でも普通のことで、言うまでもないが軍事目標にはならない。

「人間の盾」という主張はウクライナ侵攻においてロシアによって濫用された。
その結果主張は陳腐化し、説得力を失った。
「ロシアの『人間の盾』は信じず、イスラエルの主張は信じるのはなぜか?」との質問に満足いく答えができる人間は少ないだろう。

ハマスのせいで爆撃されている

「イスラエルが爆撃しているのはハマスのせいだ」という主張は、まぁその通りではある。
戦争を開始しなければ虐殺はなかった。
ただそれは戦争犯罪を肯定する思想に他ならない。

同様のことはハマス側も主張できる。
イスラエルがガザを開放していればハマスもこうはしなかった。
テロの犠牲者はイスラエル政府により殺されたのだ。
どちらが説得的かは微妙なところだ。

ホロコースト以来の死者

ホロコーストの被害者という立場を利用する目的かもしれないが、「ホロコースト以来、これほど多くのユダヤ人が殺害されたことはない」との表現があった。
それは事実だろうが、別にハマスが差別主義者でユダヤ人を狙ったという訳ではない。
それは皮肉だが、無差別に外国人を殺傷した事例でも証明されている。

「ホロコーストの被害に遭ったユダヤ人は安寧に暮らせるべきだ」という主張自体はそれなりに説得力がある。
だがユダヤ人・イスラエル人の命がガザの人より重いことにはならないだろう。

この主張はイスラエル側から何度か発信されたが、欧米でもそれ程感化されなかったようだ。
毎回あれだけミサイルで殺害しているのを見て今更気にする人は居ないだろう。

「イスラエルの9.11」「イスラエルの真珠湾攻撃」

「イスラエルの9.11」や「イスラエルの真珠湾攻撃」といったナラティブも同様に見られた。
これはプロパガンダというよりは、イスラエルにとっての衝撃を伝える意味の方が大きいだろう。

皮肉なことだが、「真珠湾攻撃」という表現はむしろ日本人にとってはハマス側へ同情を誘うものだろう。
まるで元々迫害され追い詰められた結果やむを得ず攻撃したかのように聞こえる。
日本への宣伝を考えるなら避けた方が良い表現だと忠告しておこう。

9.11の被害者数は3,000人と近いが、イスラエル人と同じ扱いをされるのは被害者にとって必ずしも心地良いとは限らない。
状況が全く違うものを例えるというのは予期せぬ効果を持ち危険だ。

自衛する権利が存在するはずだ

欧米メディアのインタビューでは「イスラエルには自衛する権利があるはずだ」「しかしハマスが隠れているせいでビルを攻撃するしかない」のような正当化が行われる。
つまり自衛する権利がある。
だからミサイルをどこかに撃てるはずだが、適切な攻撃対象がない。
あるいはビルの近くに配置されている。
仕方がないから都市のビルをぶっ飛ばしているという推論だ。

言うまでもないが、自衛権の保証は戦時国際法に違反しない範囲までだ。
仮に国際法に違反しなければ何も攻撃できない状況であれば、実質において自衛権は存在しない。
それでも自衛権が存在するという誤った前提から推論した結果だ。

自衛権は、戦時国際法に違反しない自衛手段が何か存在する場合に限り、存在する。
そうでない場合には存在しない。
単純な前提の誤りだ。

これは多くの人が陥りがちなので注意して欲しい。

二度とテロを起こさない状況にする権利がある

「イスラエルは二度とテロを起こさない状況にする権利がある」。
そう思うのは当然だ。
だが実際はそうではない。

犯罪被害を根絶することが不可能なように、テロが起こらない保証を得る権利などどこにも存在しない。

これも諸外国にとっては特に説得的とは思えないナラティブだと言える。
ただ主観的には「私たちは平穏に生きる権利がある」というのは当然の主張だ。
その結果ガザの人々にとってはそうなっていないのだから、第三者から見れば馬鹿らしいとしか言いようがない。

残念ながらどちらか一方しか平穏に生きられない、そしてその為には戦争犯罪を犯すしかないという状況は存在する。
その場合の選択肢は「戦争犯罪をしない」だけだ。
つまり双方がある程度平穏には生きられないという結論以外ありえない。

ハマスがガザの人々を抑圧している

「我々はガザの人々を敵視している訳ではない」「我々はハマスであり、ハマスはガザの人々も抑圧している」。
事情を知る人間からすれば「馬鹿にしているのか?」といいたくなる主張だが、イスラエル人のインタビューでは散見される。

言うまでもないが実際にガザを抑圧しているのはイスラエルだ。
輸出入を規制し、漁業権や資源を一方的に奪っている。
知らないわけがあるまい。

あまりに稚拙なナラティブだが、これは罪悪感からの合理化と呼ぶべきだろう。
「自分達が悪だ」「自分達が悪だと思いたくない」という二つのジレンマから産まれる主張だ。
逆に言えば罪悪感は多少あるのだろう。

諸外国では、事情を知らなければ信じる人も居るかもしれない。
ただニュースで少しでも触れてしまえば、ガザの平時の困窮はハマスがもたらしたなどという戯言を信じる者は居なくなる。
議論の上での説得力も全くない。

ガザにはハマスを支持しない人々もいる

「ガザにはハマスを支持しない人々もいる」というのは「ハマスを支持するなら敵だ」とでもいう主張だろう。
これもまた現地のイスラエル人のインタビューにある。

ならネタニヤフ政権やガザの封鎖を支持するイスラエル人は共犯とでも言うのだろうか。
なんせイスラエルは民主主義国だ。
そしておそらく大半の民間人犠牲者はそうであろう。

実際のところ、ハマスはそれなりに支持を得ているのも事実のようだ。
「イスラエルに爆撃されたからハマスを恨む」、そんな心理は実際にはならない。
それは「イスラエルのせいでハマスに殺された」と主張する被害者が居ないのと同じことだ。
それはウクライナで散々見たことだろう。
「面倒なことしやがって」程度の話にはなるだろうが。

ホロコーストのナラティブへの影響

今回欧米諸国がイスラエルを支持した中、イスラエルが残虐行為を行ったとみなされた場合、ナチスやホロコーストのナラティブにも影響が予想される。

反ユダヤ主義

日本ではピンとこないが、欧米ではホロコースト否認・ナチスの肯定・イスラエル批判が「反ユダヤ主義」として攻撃されることが少なくない。
何の問題もないイスラエルを攻撃するとすればそれは「反ユダヤ主義」だからだというレッテルだ。

過去の被害を現在の政治的利益に繋げる宣伝手法だが、しかし当然リスクも大きい。
なぜなら「現在のイスラエルが悪」であれば「反ユダヤ主義」は悪だとは言えない。
「今まで正当な批判が不当なレッテルによって抑圧されてきた」と明らかになる。
「従って『ホロコースト否認』『ナチスの肯定』もまた『反ユダヤ主義』というレッテルで抑圧されてきた」となるのが自然な帰結だ。

これは実際にホロコースト否認などが実際に多少は反ユダヤ主義的な思想の影響があると考えればそこまで説得的ではない。
現在、第二次世界大戦前のヨーロッパのような反ユダヤ主義が生き残っている訳ではないが、ユダヤ陰謀論は多少まだある。
まぁアメリカの異常なイスラエル支持を見れば疑いたくなるのは自然だが。

しかしホロコースト否認の全てが反ユダヤ主義によるものではなく、合理的な批判も抑圧されてきたことを考えれば、多少は「反ユダヤ主義」というレッテルの効果も弱くなるだろう。

無垢な被害者としてのユダヤ人

特にヨーロッパでは「ホロコーストの被害に遭ったユダヤ人には何の責任もなかった」「『我が闘争』でヒトラーが攻撃したような問題ある要素を一つも持っていなかった」というのは基本的かつ強力なナラティブだ。
要するにユダヤ人は「多少問題があったが酷い目に遭った」ではなく「無垢で問題がないのに不当な迫害を受けた被害者」なのだ。

被害者には何の咎があってもならない、被害者は全て肯定されなければならない、被害者を攻撃してはならない、という思想は私には納得しかねる。
仮にユダヤ人が多少問題があったとしてもホロコーストに遭うべきではなかっただろう。
単純にジェノサイドの、遡及的とはいえ、犯罪性は動機が正当であろうが影響を受ける様なものではない。

だがしかし実際にユダヤ人がイスラエルでしている行為は、虐殺であり迫害であり侵略だ。
それが欧米世論の大勢を占めるようになればホロコーストのナラティブにも綻びが出る。
ユダヤ人はもはや無垢な被害者とは見なされなくなる。
当然、ホロコースト以前の反ユダヤ主義も多少ユダヤ人側に理由があったと疑われる余地出てくる。

被害者としてのユダヤ人のナラティブは強力であるから、そこまでこれが影響を受けるとは思えない。
特にヨーロッパでは公然とこうした主張が行われることは少ないだろう。
しかし見えないところでは「ユダヤ人にも咎があった」というナラティブはそれなりに広がると予想できる。

ホロコースト容認

イスラエルが現在行っていることは間違いなく残虐行為であり国際法への違反だ。
しかし国際社会は今まで容認してきた。
これはまさにホロコーストやユダヤ人迫害に対して連合国も枢軸国も十分な動きが取れなかったのと同じ構図だ。
残虐行為を見過ごし、容認し、政治や平和を優先してきたのだ。

イスラエルの行為が残虐と見做されれば、現在においても第二次世界大戦直前や戦中と同じような状況になり得ることが証明される。
ユダヤ人が「なぜ手を指し伸ばさなかったのか」などといっても説得力がないだろう。
なぜなら現在我々がパレスチナの人々を救わなかったのと同じことをしていただけなのだから。

ナチスドイツと同盟国だった日本にとっては多少は追い風かもしれない。
ただ第二次世界大戦での日本の正当性がナチスとの関係で批判されることは元々少ない。
アジアにとってはヨーロッパのことなど知ったこっちゃないのは自明だ。

豊かなものの論理

幸運なことに我々は数千年前から確立している領土に住んでいる。
北海道や沖縄はそれより多少は短いが、僅かな例外を除き、我々の領土は明確に各国から承認され疑われることはない。
そして多少衰退しようがトップクラスに豊かな先進国でもある。

我々にハマスやイスラエルを批判することができるだろうか。

ハマスを批判できるのか?

ハマスの民間人虐殺は明らかな国際法違反でありテロであることは間違いない。
ただガザの人々は抑圧され、隔離され、困窮し、未来が見通せない。
そうした中、我々国際社会は彼らに手を指し伸ばさなかった。

正確には試みはあった。
批判もした。援助をした。現在でもしている。
しかし我々はイスラエルを止めることが出来なかった。

絶望した彼らに対して、「戦争は正しい方法で行うべきだ」などと言えるだろうか?
彼らはどうするべきだっただろうか?

歴史を辿れば似たような例はいくつかある。
第一に想起されるのは、ワルシャワ・ゲットー蜂起だ。
彼らはドイツの兵を法に反して殺すべきではなかったのか?
より良い方法を試みるべきだったのか?
日本だと花岡事件が近いだろうか?

もちろんイスラエルは総力戦下でもない豊かな国だ。
現在と今と人権状況が違い、ガザでも先進国に近い暮らしをしている人はいる。
だが状況はかなり似ている。

加えて十分な教育を受ける機会があったのかという問題もある。
ガザには4つほど大学があるようだが、国際法の教育を受ける機会は十分ではなかっただろう。
なおイスラエルは今回ガザ・イスラーム大学を爆撃し破壊した。
組織的な軍事教育もまたできない中、どうやって兵士に国際法を教えろと言うのだろうか?

イスラエルを批判できるのか?

同じことはイスラエル人にも言える。
彼らはただ平穏に暮らせる国を持ちたかっただけだ。
テロで殺される恐怖から免れたいという求めは不当だろうか?

戦後の国際法は現状の肯定が基本にある。
領土は動かしてはならない。
現状を変えるために戦争をしてはならない。
国を持たないものは、民族自決で独立できれば与えられるが、困難だ。

それは豊かな人々のための論理だ。

世界には国を持たない民族が居る。
例えばクルド人だ。
ユダヤ人もかつてはそうであった。

そして国があっても安寧には過ごせない民族も居る。
今のイスラエル人はまさにそうだ。
安寧を求めるのは、その手段として虐殺や隔離を選ぶかはともかく、人間として自然な行為だ。

我々に彼らを批判できるだろうか。

少なくとも国際法を守れとは普遍的に言えることだと信じる。
その結果がテロがたまに起こることを甘んじて受け入れろであったとしても。
数年おきにロケット攻撃を受ける中で生活せざるを得ないとしても。
それで被害者になれるのは国際法を遵守し、隔離や抑圧を辞めてからだ。

仮にそう言えるような立場でなかったとしても、世界がより良い場所になるような行動を心がけるべきだろう。

悪の自覚

政治的立場を決めるのはどちらがより善で、どちらがより悪だと見做すかだけが理由ではない。
「どちらの側か」というのも大きな問題だ。
あるいは「どちらの秩序を求めるか」だ。

あなたが抑圧者であれば、抑圧されたものが立ち上がるのは決して許したくないだろう。
あるいはテロをされる可能性があれば、それを許したくもない。

悪の自覚があるならば、イスラエルが悪だと立証することは何の意味も持たないだろう。
むしろ何か理由をつけて抑圧されても先進国に暮らす市民の平穏を侵すべきではないと必死に肯定するだろう。
特にアメリカでイスラエル支持が多いのはそうした理由だからだろう。
実際にアメリカが中東で色々敵を作ったとしてテロをされても困る。
逆に日本では比較的イスラエルに批判的な意見が多いのは、自分達が悪の側と糾弾されテロをされるとは思っていないのが大きい。

そこでのナラティブはただ自分の立場を補強するための道具に過ぎない。

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